農の会の放射能の影響

   

あしがら農の会は放射能によって大打撃を受けた。その一番は有力メンバーの関西への移転である。農の会は、足柄平野周辺に他所からやってきた人が中心である。この地域がいくらかでも放射能で汚染されれば、若い人たちが移転して行くのも当然のことだろう。しかし、この打撃は放射能の為だけかと言えば、どうもそう考えてもいけないような気がする。どう生きるのかがそれぞれに問われたのだろう。足柄平野の素晴らしさは、その多様性である。大都市にも近く、また、丹沢や箱根のような大きな山塊に接してもいる。海もあれば、大きな川もある。この地域性を生かしてゆくことは簡単そうに見えるが、やはり日本農業の限界を抱えていることは同じで、農業の展望はとても難しい状況にある。そこで、自給的な農業という事で、経営のない農業を中心に考えた。自分が食べるものを作る。あとは、何らかの仕事で収入を確保する。食べるものさえ確保していれば、職業の選択も自由が利くのではないか。こう考え主張してきた。

農の会はそれぞれの考えで出来るているので、全体がこうであるということはまったくない。だから、仲間と言っても、どういうつもりで参加しているのか分からない人さえも多数存在する。一方にかなり濃密に参加してはいるが、農の会の会員という意識の薄い人もいる。それが良いのだと思う。それでも「地場・旬・自給」の原点は大切だと思う。そのことから考えてみることが必要になっているのではないだろうか。農の会の活動の基本は、一人の人が、「自給をしてみたい。」そう考えた時に手助けすることではないだろうか。今までもそうしてきたし、これからもそのことを大切にしたい。土地の貸借がそうであり、機械の共有などもその為だろう。しかし、田んぼ一つがこういう形で運営されている時であれば、話も分かりやすいかったが、今は複雑で難しい。多様な人が農の会に存在し、農の会の組織運営や事務的処理が始まる。

組織が大きく成るにしたがい、素朴に自給農業をしたいということが、複雑なものになる。この自己矛盾を明確にしたのが、放射能の問題であったと考えるべきではないか。農の会は、安全な食品の生産団体ではない。確かに有機農業的にやっているが、安全安心の食のためとは意味が違う。永続農業を模索する中で、そうした農業に到ってきたのだと思う。つまり、肥料や農薬も自給するとすれば、農の会的な農業になるという事の方が本流であった。だから、その人の状況に応じて、様々なやり方が存在するのだろう。しかし、消費者としてだけこの組織にかかわる人にとっては、生産物の安全を主眼にしている場合もある。私としてはこの地域の農業を守るという事の方が、重要だし、優先しなければならない、と繰り返し主張してきた。この考えは、消費者にはあまり届いていなかった。届かないばかりでなく、私のそういう主張が、農の会の考えだとすることを嫌う人が、登場してきた。会は変わって行くのだから、当然のことである。私がこういう文章を書くことすら、嫌う人がいる。

農の会は、この地に根差し、循環できる農法によって、自給を目指す人間の組織だ。この事は変えてはならない所だろう。誰も排除しないが、実際に農業をやることを目的にした組織だ。そう言う事を放射能の問題は、明らかにしたのだと思う。農の会は放射能で汚染された安全でない食品を生産して良いのかという事だ。私の玄米卵にも放射能は残念ながらある。不検出であっても、低レベルでは現在でもある。給食冷凍みかんの横浜市の対応は、自分が排除されたことだと思っている。子供に食べさせてはならないものを生産し販売している人間。そう言われたと感じている。みかんだから関係ないではなく、父兄の中には、敷居値がないということで、0,1ベクレルでも出さないでくれと悲痛な叫びをあげている人がいる。農の会の中にもいる。本当は養鶏を止めなくてはならない。私があえて止めないのは、一定レベルまでの放射能は受け入れるべきだと考えているからだ。しかし苦しい。

 - あしがら農の会