東アジア共同体
「東アジア共同体とアメリカとの対等の関係の構築。」これは民主党のマニュフェストとして示されていた。民主党が政権を取る前の、期待した外交政策である。様々なマニュフェスト放棄が続いている訳だが、中でも一番罪が大きいのが、東アジア共同体構想の放棄である。これも鳩山内閣の間は、大胆に公言し模索していた。しかし、官僚の非協力もあったのだろうが、沖縄普天間移転で完全に失敗した。アメリカが牙をむいたという印象を受けた。本音を出して来たのだろう。この流れの中で、野田内閣は東アジア共同体の方角は、模索どころかアメリカ一辺倒に見える。明治政府の方針で、日本は脱アジアを目指した。進んだヨーロッパに見習うことにした。江戸時代を否定することで、文明開化と考えた訳だ。しかし、その方角は富国強兵であり。列強に伍して大東亜共栄圏に到る。
マスメディアはアメリカ主義に染まっている。こうした分野そのものが、アメリカ文化の申し子ともいえる。しかし、世界経済の流れから言えば、アメリカ一辺倒ほど、馬鹿げているものはない。日本の生産拠点としてのアジアは現実である。そしてまた、日本を追い抜いて行くライバルはアジア諸国である。このアジア諸国と良い関係を作り出し、日本がアジアの一国である原点に立ち返ることが必要である。今までの行きさつや、相手国の腹立たしい態度にかかわらずである。既成概念にとらわれずに考えるのであれば、日本が主権を失わず、アジアの一国である姿を模索するいが。つまりユーロ圏の状態を見ておく必要がある。ドイツとフランスは何度も戦争をしている。しかし、両国はすでに戦争を出来ない状態である。それくらい深い経済のつながりを持っている。エネルギー問題でも対極に位置する。しかし、両国は協力して、ユーロ圏の維持を目指している。
ユーロ構想も東アジア共同体も、国というものを越えて行こうとする、人間の希望という、新しい試みなのだと思う。それは憲法9条と同じくらいの理想主義であり、現実社会は困難ばかりが目につく。しかし、今が分かれ目に見える。世界経済はさらに厳しさが増すだろう。世界人口の増加。資源の偏在。経済競争の激化。軍事技術の巨大化。ギリシャのように、仲間から脱落仕掛けるものがでかねない。ここを乗り切れるかどうかが、一つの山になるだろう。それは経済格差や能力格差や、各国の条件の違いを、EUの中で補い合えるかどうかである。EUが国という枠を越えて協力体制を採っている。隣国を悪く言うのは、幕藩体制でも同じである。それを越えて一つの方角を目指そうというのだから、不可能への挑戦のように見える。これしか人間が平和に暮らすことはできないと考えるからだろう。
東アジア共同体構想は、広く、深く公論を起こすべき日本の長期的課題である。日本が一人リーダーとしての大東亜共栄圏が間違っていた。東アジア諸国が、対等な関係で大東亜共栄圏を作ることだ。EUのあり方が大いに参考になる。10年先、20年先の日本のあるべき姿として、アジアの日本を見極める必要がある。ヨーロッパ型の資本主義経済は、その経済競争を放任するのでなく、能力主義の克服をも含めて、再生しなければならない時が来ている。その探求の先にあるのは、アジアの永続的な安定農業社会である。日本で言えば、江戸時代であるが、アジア全体に永続性のある社会が存在した。それがヨーロッパの帝国主義によって不当に支配を受けた。その結果やり返すしかないというのが、今に至る潮流ではないか。そうではなく、もう一度遅れたアジアと呼ばれはしたが、その良さを見直すべきだと思う。
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