日本人とは
「田植えの終わった棚田」
日本人とはどういう人間の集団なのか。この事は私自身が暮らしてゆく上で、何時も気掛かりなことである。日本人とは、田んぼをやる人である。というのが一つのたどり着いた考えなのだが。今も田植えをしながら、そんなことを考える訳だ。そのことは、日本人というものがこうして出来てきたという意味である。長く比較的平和に暮らしてきた、島国の民族である。江戸時代に完成させた、日本という枠の中で、循環的な永続社会を作り上げた民族である。日本人を誇りに思うのはそう言う所である。その気持ちは日本人の中に十分に残っていると思われる。それゆえに、そうした日本が失われかけていることが残念である。田んぼをまた始めたとしても、今度は工場と同じような、経営的な合理性だけが、優先されることになるだろう。日本人が日本人であったのは、日本人的な暮らしをしてきたからだ。その暮らしを失い日本人であることから離れ、国際的な経済的人種になるのだろう。
自分を愛国的日本人と自覚する人は、どんな日本人を日本人と考えているのだろう。街宣車の先駆者赤尾敏氏の街頭演説を良く聞いたものだが、この人が考えている日本人というのが良く分からなかった。今でも街宣車で愛国者を標榜している人がいるが、愛している日本という国がどんな国であればいいと考えているのだろう。ただ、軍艦マーチを流しているのでは、愛国者が暴力的な人である。という誤解が広がリ残念である。あの街宣車での威嚇行為は、日本の素晴らしさを主張するには、明らかに逆効果である。日本を軍事国家にし無ければ、安心が出来ないという気持ちは想像できる。しかし、暴力的威嚇と軍事国家が印象として結びつくために、安心な気持ちと軍事国家は距離が遠くなるばかりだ。日本とは何かという事が、分からない限り、この国の方角を定めることが出来ない。多分、今日本が不安の中に落ち込んでいるのは、行き先が見えないということではないか。
日本国のあらましは、日本国憲法を守る国であると書かれている。日本国憲法には様々な、批判的意見がある。現実的に見れば自衛隊という形の解釈論でごまかし、違憲状態で来た国である。この国の方角すら、ご都合主義の国である。こうしたご都合主義的な考え方は、経済優先の上で、生まれた戦後日本の特徴的政治の姿である。まずは戦後復興である。経済が上手く行けば、すべてはあとで考えようということだったと思う。分岐点は、70年代の大学闘争だった。そして、経済だけで行くということに日本人は決めた。もちろん、原発の推進と同じで、誰がどこで決めたのかは分からないが、大きな社会的な方向性はあのころに作られた。沖縄が返還されたときである。このまま行けば、日本というものが失われる。こういう切迫感があったが、そんな飯の種にならないことで騒いでいるのは、能天気な学生共だけだ。という世論がマスメディアによって形成された。あの時に日本人とは何か、もっと本質的な議論をすべきだった。
世界経済の中で日本はその優位性を失い始めている。それは江戸時代に醸成した、日本人という能力を失ってきたということである。江戸時代の日本人は鎖国という制度のもと、とても特殊な国であったと思う。多分このまま普通の国になってゆくのだろう。しかも世界経済自体が、傾きかけてもいる。こうした激流下りのような状況の中で、日本のかじ取りをどの方角に定めるかは、日本人と日本という国土とを、もう一度総点検する必要がある。見直しを行えば、基礎力の蓄積を失いかけた経済優先がどれだけ馬鹿げたことであるかがわかる。基礎力とは、一人ひとりの生きる力である。学校教育にだけ、期待しても生きる力を付けることはできない。自然に向かい合い、人間というものを作り上げることが必要である。そのことを通して、日本人というものがどんな人間なのかを、見直してゆくべきではないだろうか。
昨日の自給作業:代かき1時間 累計時間:24時間