びわ、桃、イチジク

   

びわ、桃、イチジクを食べたいだけ食べる。これが子供の頃の夢だった。子供のころは『くいしん』と呼ばれていた。何でも食べたがって困ったらしい。いつも下痢をしていて、お腹が痛くて唸っていた記憶である。なかでも、食べたかったものが果物。お菓子と言うものを食べる習慣が無かった。熟しかかったものが好きで、特に軟らかい果物が好きである。なしでも、西洋ナシの方が良い。ラフランセを初めて食べた時には、余りの美味しさに驚嘆した。畑をやってみたいという動機には、果物を好きなだけ食べてみたいという、子供の頃の夢に繋がっている。今年はそれをほぼ実現している。みかんに始まり、びわもそれはさんざん食べた。10本もある木が実ったのだから、それはもう食べ放題である。あちこちに送ろうかなども思ったが、放射能枇杷だと言われそうで、自分で食べることにした。枇杷が終わると桃である。

桃は一本だけなのだが、これはもう食べきれない。毎日10個食べても食べ飽きるものでもない。おかげで体重がこのところ増えている。畑をやり、田んぼをやり、草と戦って居て、着るものは汗で日に5回も着替えないとならない状態である。それなのに随分体重が増える。果物のすごさである。我が家で作る果物はまた味が良い、桃など、程よい硬さがあって、さわやかな香りがしてたまらない。他の人にあげる訳にもいかないので、食べきる以外にない。半分は落ちてしまう。来年は思い切って摘果というのもやってみよう。今まではそれほどはならなかったし、成ってもほとんどが落ちてしまった。多分梅雨に入って、雨が少ないせいではないだろうか。この後はブルベリー、イチジク、プラム、ブドウ、柿と、くいしんの夢の後半に入る。

そう言えば、梅ジュースもなかなかおいしかった。冷凍保存のみかんを夏の暑い時に食べようと取ってあるのだが、出る幕がまだない。昨日は桃をホワイトリカーに漬けてみた。大したものに成るとも思えないが、捨てるよりはいい。毎年ジャムもいろいろ作るのだが、そこまで手が回らない。砂糖の使い過ぎも考えものだ。こぶた畑のプラムをもらって食べたが、小さいが味は良い。やはり果物は、木で熟すと美味しい。こういうおいしさは、育てていないと食べられないだろう。売られているものと果物は違う。流通に乗せるには、まだ青い硬いうちに収穫して、家庭に届くころにちょうど食べごろに成っている。それで良い果物もあるのだろうが。本当の味はまた違うこともある。バナナなど木で熟したものを食べたことは無いが。味は同じなのだろうか。キウイは木では熟さないと生産者の方が言われていたが、山北で作っていた頃は、熟したものを直接食べていた。その時の味は買ったものよりおいしかった。今度実った時には試してみたい。

今の果物は甘さに偏ってしまった。糖度が問題で16度あるとか、18度あるとかが、新品種の価値として表示されている。その為に、木が作りにくくなったと思う。イチゴを束るのに、砂糖やら練乳をかけたものが美味しい食べ物に成る。むしろ何もつけずに、そのまま食べた味の良さこそ果物の美味しさである。冷やせば美味しいということもあるが、暑いさなかに、木から採ってそのまま食べる桃のおしさは格別である。さくっとした硬さとすっぱみが残っているものが美味しい。こういう桃は今は売られていない。より甘いもの、より柔らかいもの。それで作りにくいので農薬と言うことに成る。山梨市であった有機果樹栽培でも、作れる品種と売れる品種の問題が話されていた。そう言う意味では、有機栽培で出来る、四季を通して摘み取りその場で食べることのできる、果樹園があれば経営できるのではないだろうか。

昨日の自給作業:大豆畑の耕運3時間 累計時間:30時間

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