10年、20年住めない。
管首相が10年、20年住めないと発言したというので、福島の地域住民から一斉の反感を買った。あれは自分の発言ではないとさっそく否定した。原発事故処理の政府の不手際が指摘されているが、よくこの程度で抑え込んでいると思う。原発は危険な厄介なものなのだ。放射能汚染地域に10年、20年住むべきでない。という判断は止む負えないことだと思う。故郷を捨てざる得ない人たちが、絶望的な気持ちに成る。どれほどかつらいかも、分かりたい。それでも、受け入れたほうがいい。その上で、同時に管氏が発言したという、エコタウンの未来構想を住民たちが、自らの展望として、具体化して行くことではないだろう。地域住民の故郷を捨てがたい思いが、どのようなことに成るのか心配である。福島県知事をはじめ、当事者の長である町長は、政治家としての正しい判断が必要。すでに起きてしまった取り返しのつかないことを嘆き、管氏の心ない態度を嘆くより、どのように住民の未来の展望を開くかではないか。
管氏が震災以来初めて、具体的な発言をしたと思いきや、一斉に反発を食らった。なるほど政治は難しいものだ。ここは辛抱ではないか。飯館村村長は、何故あれほど怒ってしまったのだろう。福島の内陸部は日本で最も美しい村が点在する。都会とは違う論理の中で、村の将来が見え始めた時だった。私が移住先を探したころには、既に都会から福島に移住した人たちの噂は聞いてきた。しかし、寒いところは駄目だと考えていたので、選べなかった。飯館村の人たちは、自分たちの故郷以上に美しい村を見たことがないだろう。そこにもう住めないと言われたら、耐えられない気持ちになることは想像できる。福島で起きたことは、足尾鉱毒事件と同じことである。国策と称する利権によって住民が騙された事件だ。避難区域に暮らす人たちが、どれだけ怒っても当然のことである。
東京に暮らす人には、分かりにくい感覚だと思う。落ちているビニール袋一枚拾う時に故郷を思う心がある。そんな気持ちは新宿を歩いているときには起きない。故郷は育てているものだ。日々の暮らしをしながら、故郷を育てている。誰のものでもない自分のものとして育てている。諦めきれない思いがあることを分かるとは言えないので、分かりたい。それでも、どうしようもないことは受け入れて早く次のことを考えるときではないだろうか。少なくとも、選択肢は広い方がいい。政府行政は条件を整備して、新しく村づくりを行いたいという人たちに、提示する必要がある。管氏の性格だから次はないだろうから、管氏には降りてもらい、新しい人たちで新しい出発を行うべきなのだろう。2007年11月。福島県飯舘村の菅野典雄村長は、「日本は世界一安全な国だったが、いまは世界一危ない国に近づいている。効率一辺倒で走ってきた後遺症だ」。村で開かれたイベントで、こうあいさつしているそうだ。
放射能の情報の自己判断は難しい。アメリカの考えでは現在も80キロ圏内立ち入り禁止ということらしい。ヨーロッパでもかなり厳しい展望が流布さえているようだ。しかし、すでに東京がモスクワより放射能レベルが低いというデーターも出ている。放射能の危険領域は、狭く限定されていると考えた方がいい。一般地域では必要以上に恐れる必要はない。しかし特定危険領域では暮らさない方がいいのも現実である。アレクセイの泉ではないが、その覚悟を決めて暮らしたい者は暮らす。という選択肢もあるだろう。正しいなどということはどこにもない。私の中では東京に暮らす方がリスクが高いと思っている。東京に出かけるときは、何があるかといつも緊張している。つまりリスクのない暮らしはどこに居てもないとおもう。
昨日の自給作業:稲種まき7時間 累計時間:15時間