マクロビアン
マクロビアンとはマクロビオテックを行うことの人ということなのだろう。橋本宙八さんとちあききさんとその息子さんが昨日、欠ノ上田んぼを訪ねてくれた。宙八さんとはいぜんCLCAのお祭りでお目にかかったことがあった。見ただけで話したことがあったという訳でもないので、ほとんど初対面のようなものである。欠ノ上田んぼの岩越さんが古くからの友人で、三島の方に来ているので寄ってくれた。現代において奇跡のような家族であった。その息子さんが、素直で自然な姿に、新しい人を感じた。言葉で表すと違ってしまうような気がするが、用心するような感覚がない。すべてに対して自由な受け入れ方をする。ありのままでいられる。良い暮らしをしてきた家族だということが強く感じられた。小田原での活動を見に来られたということなので、こちらの状況をあれこれ説明をした。いわき市から見えたということで、もしかしたら小田原に移住する可能性もあるかもしれないということもあった。
マクロと省略してよんでいたが、正食ともいう。今回放射能対策の食事ということで、着目が集まっている。読んでもいないのだが、たぶん発酵食品で免疫力を高めようというような事が書かれていると想像する。橋本さん家族はくよくよも、いらいらも全くしていない。笑いが絶えない。さすがである。小田原に暮らしながらこわばりがちな日々である。どうしようもないことは受け入れて前向きに存在する。これが放射能に対する一番の姿勢だ。放射能が怖い、地震や津波が怖いと、安定出来ない精神でいることが、一番免疫力を下げる。高僧なら、大きな衝撃を受けるだろうが、自分の中でそのまま飛躍して、吸収して行ってしまうイメージでないか。ちょっとそうした高僧的な超越を宙八氏から感じた。いっぽうその奥さんのちあき氏は、すべてを受け入れる器の大きい方であった。同席したMさんの深い悩みを、何も聞かずに感じ取り、その解答を自分の父親の体験として、偶然のように話しておられた。この見通す力は何であろうか。
昨日は、二度目の被災地の支援から戻られた方から現地の話を伺った。関係者が五〇名近く亡くなった方である。その現地の状況を、じかに教えてくれた。同じ有機農業をされていた福島の農家の方の自殺された話になると、その深い悲しみは尽きなかった。生涯をかけた三〇年の土ずくりが、未来に残そうとしたその人生の目的が、一瞬に消え去る絶望。描いてきた絵がすべて痕跡なく消えた時でも、絵ならまた描ける。土にもう一度はない。人生の時間など短いものである。だからこそ、先祖を敬い生きた東洋人の姿がある。この東電の行った悪行も受け入れて、許さなければならない。そして、さらなる悪行を行わないように、制止続けなければならない。多分、成果うんぬんではなく、それが、次の世代に対する許しをこう事なのだろう。
戦前戦後の区分があるように、3,11以前と以降がある。景色は同じに見えないし、空の色も海の色も違う。こういうことが我々の嘘の時代の先には、待っていたのだ。もう今までの路線の先に何かがある訳ではない。この次もないし、この前もない。ただ、ちぎれたように一日があり、いまのところちぎれたままこなしてゆくように過ごすしかない。橋本さん家族と接したからではないが、まず食事であろう。きちっと食べるべきものを食べ、不要なものは食べない暮らしを続ける。こころも正されてゆく気がする。橋本さんの家は、川内村とはすぐそばだそうだ。どこに何があるかは言ったこともないので分からないのだが、ダッシュ村や漠原人村もあっちの方ではないのだろうか。3,11に消えたものの大きさ。管首相がもう10年、20年住めないと発言したというので、現地では怒りが爆発していた。原発がいけなかったのだ。