米中会談
中国が世界の中心になるという、アメリカ人の中にある恐怖感。恐怖感というものは、根拠があいまいなだけに、始末に悪い。高度成長期の日本もそうした目で見られたことがあった。白人の意識に潜在する、差別意識が背景に感じられる。先頭を行くものは常に背中が不安。上海の子供たちの学力がどの分野でも世界1だそうだ。最近まで韓国がそうだった。日本にもそれに近い時代があった。遅れを取っている意識がある者には、教育こそ未来への投資である。日本の教育力の低下が言われるが、満足すれば努力は減る。世界全体が高くなれば、日本だけがず抜ける訳がない。ここでの教育の観点が、本当の意味での教育であるかは極めて怪しい。人間にとって必要な能力の比較とも思えない。経済競争に役立つ能力という限定的意味だろう。教育が真理を学ぶものであるならば、競争のばかばかしさだって自覚出来るはずである。競争をエスカレートさせる教育が、比較となる教育の基準。
中国はすべての面で、失敗した経済先進国の競争地獄への道をひたすら進んでいる。このままでは、また同じ轍を踏むだろう。20年前には、中国という歴史の深い大国なら、違った道を選べるかと思っていたが、残念ながら、中国の方がより問題が悪化してきている。日本の高度成長の倍の速度で中国は変化している。人間はどの時代も同じ速度でしか変われない。人間性を崩壊させながら、ひたすら経済強国を目指すことは、結局は大きな挫折に突き進むことになる。ノーベル平和賞に変わる、孔子平和賞を作ったという、面白ニュースが流れていた。儒教というものは、実に中国人の反面思想である。余りにそうではない民族なので、儒教思想が生まれたような気がする。それでも、中国4000年の歴史の知恵が、資本主義の問題点を違った形で乗り越えてくれないかという期待は、今でもある。
中国はやはり巨大な国である。一枚岩ではない。この急激な変化の中で、綱渡りを続けているのだから、当然、政権内部は権力闘争の渦である。ただしその弱みを見せまいとするあまり、北朝鮮と同じように世知辛い小国的対応が増えた。中国といえども資本主義に巻き込まれれば、近代化の途上国に成り下がる。問題は格差にある。農業国家というものは、富を集中させようとしても、大多数の農民はほどほどの暮らしをしているしかない。それが権力にとっても有利だからである。しかし、工業化社会では、格差を広げようとすればいくらでも格差は広がる。中国はこの格差というもののコントロールが利かなくなっている。資本が利潤を生む社会。農民と都市住民との格差の拡大。経済の発展を続けることだけが、国を維持できる装置と考える政府。軍の増強は格差による暴動を抑止しを目的としている。
世界情勢に置いて、米中首脳会談を注目すべきだ。それにしては報道の分析が鈍い。米中の緊張緩和の調整が主目的であった。北の核開発と、韓国への武力挑発。中国は何か約束をしたのだろうか。成果が無いということで、危機が深まったということに見える。経済でいえば、中国のバブルは必ず破裂する。それが何時なのか、今年なのか数年先になるのか。経済成長だけが国民の不満を吸収する手立てとなってより深刻化する。インフレ懸念。不動産高騰。不良債権問題。優良農地の減少。環境破壊。水の確保。食糧の問題。中国を市場として依存して行く日本や世界への波及はリーマンショック以上になる。中国は日本の失敗から学ぶべきだ。かつての自力更生を思い起こすべきだ。毛沢東をもう一度学ぶべきだ。農業でいえば、発酵の利用は世界で最も深い技術が存在した。近代農業で今一気に捨てられている。多分、こうした間違えがあらゆる分野に起きているのだろう。