相次ぐ野鳥のインフルエンザ
宮崎の養鶏場で鳥インフルエンザが発症した。広がらないことを祈るのみである。鶏を健康に飼育し、免疫力を高める。それが一番リスクの低減につながる。鶏舎に入る時に長靴をはきかえる。この冬は時々インフルエンザで死んだ鶏から発見される。野鳥の強毒性インフルエンザが常在している。自然界にはごく一般的にどこにでも存在しているといると考えた方が良い。日経の記事では、かもはH5N1
でも死なない場合がある。と書かれているが、野鳥は感染しても発病もしない場合が多く、発病しても回復することの方が多い、と私は考えている。農水省からの対応策は今のところない。私にしてみれば、宮崎の養鶏場で発生したことより、困った状況である。昨日も家畜保健所からファックスで、「家畜保健所たより」が送られてきた。先日も家畜保健所から電話があったので、どのように考えているのか聞いてみた。
「困りましたよね。ともかく野鳥が入らないようにしてください。」「否、そうでなくて、野鳥のことをどのように考えれば良いか。考えを聞かせてください。」「野鳥は家畜ではないですし、どうにもなりませんよね。ともかく野鳥がはいらないようにしてください。」「ネズミなどはどうですか。」「困りますよね。ともかく野鳥が入らなければ、リスクは低下しますから。」こんな調子である。
湖には近づかないようにとか、死んだ鳥を見つけたら、触らないようにとか。今までの鳥インフルエンザ対策が、見当違いであり、現状どうしたらいいかが分からないで困惑している様子がありありと分かる。何故野鳥は強毒鳥インフルエンザで死に絶えないのか。今までの農水の見解では、すべての鳥が死に絶えるはずだった。生き物は自然淘汰され、何万年生き残ってきたからここに居る。実に巧みな仕組みの上に存在している。今ここに存在している生命は、何万年という淘汰の歴史の中で、存在すべく存在している。愚かな人間が強毒の鳥インフルエンザを作り出してしまう。確かにある危機である。しかし、野鳥はこのことを今乗り越えようと生きている。感染し発病し、死に絶えるもの死に絶え。感染し生き残るものは免疫を獲得する。これを何世代も繰り返し、その種はそこに存在する。
人間の病気というものの克服の仕方が、他の動物と比較すると例外的なものだ。そこに家畜という人間に囲われた動物が登場する。経済性だけが重視されて、極めて、不健康な状態で飼育をされている。その不健康さをかろうじてしのぐことが、ワクチンであり、抗生物質であり、化学的薬剤である。20世紀から起きた、何万頭の工場飼いという異常な動物の飼育法は、次々に新しい病気を発生させている。そしてその新しい病気の対応法が、予防的な化学薬剤の使用である。あるいはワクチンによる免疫である。その場しのぎの、緊急的な対応方法である。健康な家畜の飼い方をする方向は、忘れ去られている。経済競争に勝てない。その危険な状況には目をつぶって居るうちに、そうした家畜から出来た病気は自然界へ影響し始めている。野生動物にしてみたらはなはだ迷惑なことだろう。
宮崎県の口蹄疫では、法の名のもとに、目に余る無駄な殺戮が繰り返された。もし、イノシシに感染が広がったとしたら、九州のイノシシを全滅させるということに成るのか。今鳥インフルエンザではそういうことが起きているのだ。コウノトリやトキも同じことである。野鳥の保護をするということは、野鳥が住める環境を取り戻すということだ。鳥インフルエンザを作り出すような、工場養鶏を禁止することだ。鶏肉も卵も倍に成る。それが健全なことなのだ。自然界に鳥インフルエンザが常在するという状態は、今までの家禽の飼育では想定外のことである。存在する法律も改正しなければ、また口蹄疫の無駄を繰り返す事に成る。というと、より隔離することを国は考える。すでに考え始めている。どこまで行っても、根本を変えなければ、人間が絶滅する。*