農業改革

   

多くの市町村がTPP反対の決議をしている。小田原市議会でも「TPP反対の決議」を進める必要がある。世論調査のTPP賛成多数は作られたものだ。騙されてはならない。農水省は相変わらず、農業改革の方向性をださない。政治は税制改革や社会保障制度見直しの方に、主題は移っている。6月に出て来る抜本改革のはずであるが、こんな状況では期待できない。農業者の方から、たとえば農協の方からは、TPP反対の署名は回っているが、農業改革案の相談をしようという話は出てこない。展望など誰も持っていない。そういう私もとびきりの解決案を持っている訳ではない。ただ、この機会を逃したら次はない。という危機感は強い。つまり、いよいよ息の根を止められるという危機感である。政府は大規模化しろ、国際競争力のある農産物を作れ、こういう農業改革の方向で補助金を出して来た。このままでは大規模化に取り組もうとした農家ほど、叩かれるという状況になるだろう。

政府の方針に答えた意欲ある個人や組織は、補助金をもらったり、借りたりして「規模拡大し、雇用をして、大型機械を入れて、」競争力ある農業をやろうとした矢先である。まず戸別補償で障害が起きた、米価の下落で予定収益が上がらない。国際競争力と戸別補償では真逆な政策である。米価が下がり、海外の穀物相場が上がるという状況は、国際競争には悪くはない。しかし、これでは経営農家を潰すことだろう。今年の米価で危機的状況は進んでいる。補助金も一時的なものだ。すぐにではないにしても返さなくてならないお金もある。この先の展望が暗くなっているところである。そこに、関税撤廃の方針が出てきた。政府や様々な場面で出てくる言葉は、農業改革の必要性と、農家の努力不足である。農業を企業のように考えているのだろう。企業のように、あるいは町の商店のように、血の汗を出すような努力せよ。こういう声も聞こえる。

まさかもっと低賃金で長時間働けというのではないだろうから、工夫をしろということだろう。町工場のように、工夫をして生産効率を上げよ。こんなイメージなのだろう。農業分野を努力を怠っているという誤解がある。農業の努力は、あくまで自然に従うしかない。5か月はかかる稲作を4カ月で出来るようにとはいかない。ハザ掛けのお米が美味しいと言っても、大規模になればなるほどそういうことから遠ざかる、一次産業である。さらなる問題点が、大半の形式的農家には儲かるはどうでもいいことなのだ。経営として農業を考えていない、たとえばアパート経営の税金対策農家というのもある。儲からなくて良いのだ。相続税猶予とか、相続税対策とか。財産管理農家である。競争の世界ではすでにない側面を抱えている。競争力を考える前提として、そういうところまで調整が必要になる。日本人の生き方にかかわることだ。婿を取ってまで農家を続けようという気持ちを踏まえて、どうするかを考えなくては、抜本的改革はできない。

小田原市議会でも「TPP反対の決議」を進める必要がある。このまま関税が撤廃された時、生き残る農家は、財産管理農家だけである。本気で経営農業をやろうという農家は成り立たない。小田原で土地を借りて新規就農を始める人間には、補助金をもらえるあてもない。しかし翻って考えれば、都市近郊農業こそ、生き残る農業と考えているのだが、それも厳しくなる。どうすればいいかと言えば、農地の国有化である。ひとまずそれは遠い目標として、まず『地場』の育成である。農産物を地域の循環とすること。地域の環境を守るためには、地域の農産物を食べる。この当たり前のことを、何としても進めなくてはならない。そうした地域が総合的に出来上がることを、ぶち壊すのが、TPPである。

昨日の自給作業:麹の仕込み2時間 累計時間:12時間

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