日本の戻るところ
うさぎ追いしかの山、志を立て、いつの日にか帰らん。それが故郷であり、明治以降の立身出世の志の姿である。ふるさとは出て行く場であり、緑にあふれた桃源郷として永遠に続いていなければならない場所であった。それほどに江戸時代のふるさとの社会は、豊かさと思想を育んでいた。それは自然とのかかわりを、手入れの思想という自然を大きくは改編しない。最小限のかかわりの中で、人間の社会を落とし込む知恵に満ちていた。しかし、そのある意味満ち満ちた循環社会を、欧米の帝国主義に対抗した、近代化社会化がある種の安定を打ち破る。明治政府は、取りもとりあえず、独立を保つために一切を投げ打って、近代化社会の構築を目指す。天皇制による富国強兵。この止むえなかったともいえる、国家の変貌が、ふるさとにとってはどれほど理不尽なものであったか。江戸時代の豊かさのすべてまでも、前近代的なものとして否定し去ったか。
その果てに日本というプチ帝国主義社会は、富国強兵の果てに、欧アジア諸国にに暴虐をふるってしまう。そして敗戦。その後はアメリカの占領下が今のいまも続く。アメリカ属国としての日本。アメリカの虎の威を借り、こずるく立ち回り経済で一定の成功を収める。しかし、その明治以来の日本の方向もいよいよはげ始めている。アメリカの衰退。それに伴う日本経済の焦りの増幅。焦れば焦るほど対応が揺れ動く。落ち着きのない、焦燥感の溢れる社会の出現。日本が徐々に後れを取り始める、大きな流れは資本主義経済の行き詰まりの必然と言える。日本人が明治以降、何故欧米にいち早く追いつくことが出来たのか。そして戦後復興し、経済成長を続けることが出来たのか。それは日本人だったからである。日本人とは、日本の文化を身に付けた当たり前の人間のことだ。
その日本人は確かに問題の多い、民族ではあった。問題点を江戸時代に見つければ数限りなくある。しかし、明治政府の否定的情報戦略を除いて見渡してみると、江戸時代の豊かさは捨てたものではない。今日本が行き詰まり、もう一度見直すところは、むしろ江戸時代の農村の庶民の普通の暮らしである。大半が農民である暮らし。自給的で、循環の輪の中に上手く入ってゆく暮らし。その300年にわたり培った日本人の資質が、その残された資質が今までの日本人が世界で、一定の成果を上げることが出来た原因である。工場や現場で働く人の資質が高かった。農業で育った人材が、志を立ててふるさとを捨てて出てきたのだ。いつの日にか立身出世して帰らんと頑張った。その資質のすべてと言っていいものが、稲作共同体の仕組みであった。それは、前近代的な因習や個人の尊重されない社会である。その抑圧されたものが爆発するように、都市文化として明治以降の日本は経済的な成長を果たす。
しかし、帰らんとしていたふるさとは、ほぼ消滅した。美しく帰れるような場所ではなくなっている。これが厭だからふるさとから出たという、さまざまな問題点だけが増幅されているのが現実のふるさとである。ふるさと回帰と単純には行かない。現実を良く見なければならない。ふるさとは新しく作り出さなければならない。ある意味都会よりその情緒的余韻は失われている。そうしたものを故郷に期待して戻ることはできない。その一員となって、身を粉にして作り直す仕事こそが、新しい故郷なのだと思う。幸い人口も減少を始めた。農地は余っている。利用できる環境的技術も増えている。日本の自然環境、気候的な豊かさは、世界でもまれにみる恵まれた地だ。生きて行くには充分である。