報道の衰退
報道機関の衰退が目立ってきた。事の起こりは、情報発信がインターネットのの出現で独占できなくなったことに始まった。気がついた時には、報道には主張というもの自体を失っていた。日々に起こることに流されて、こなしているうちに、本来報道が持つべき問題意識や批判精神のようなものが、失われている。小沢問題は管政権の目くらましである。報道に問題意識があれば、今の政治状況で何が一番重要かが分かるはずだ。まず緊急の課題は、情報の管理と、予算編成と税制改革である。ところが、こうした理解のしにくいことより、正義と悪の戦いのような、単純なものしか、世間受けしないと考えているらしい。報道も大衆に迎合したいのだ。政策より政局のほうが、面白い。報道は自ら混迷の中に踏み込んでしまい、国民に対し事の本質を見失わせる役割を演じている。法人税の減税5%をどう判断してよいかすら、明確に打ち出すことが出来ないでいる。
管総理の排除の論理はひどすぎる。差別主義者に見える。理屈はともかく、やることが厭らしくて、顔も見たくない。小沢氏を悪者に仕立てて、排除すれば民主党の人気が持ち直すとでも考えているのだろうか。起訴されたら議員を止めろなど矛盾だ。起訴はされる。それは検察審査会の抽選の素人8人の判断だ。専門家は起訴できないと判断している。裁判を待つというのが公平なところだろう。政治とお金の問題を、声高に主張しているが、それなら、企業献金の禁止の主張の原点に戻ることだ。自らその公約を捨てておいて、何が政治とお金か。民主党の新しい活動方針に、一応は出ているが、あやしいものである。ところが、驚くことに報道はこの点での批判の全く展開をしない。ここでも報道の劣化。小澤悪人説の尻馬に乗っていれば、世論に迎合できる。世間の人が面倒くさい、難しいことを分かりやすく、伝えることが報道ではないか。民主党の内部抗争など、騒ぎ立てていて恥ずかしくないのか。
仙石官房長官はさくらパパ問題で、横峰議員の政治活動は当然支持者の居るところに飛び込んでいかなければ出来ないと発言した。つまり、選挙運動と政治活動が混同している。議員の選挙運動に税金を使うことを禁止すべきだ。政治家はほとんどの精力を、時間とお金とを、選挙運動に費やしている。選挙には命がけである。税金で選挙運動をやるなど、趣旨の違う迷惑なことだ。やるべき政治活動をほっぱらかしにして、忙しい、忙しいと、ゴルフ場回りである。その金が税金であり、政治活動だそうだ。横峰議員だけではない。大半の議員がそうだ。その点世襲議員や、組織代表はまだいい。ゴルフ場回りの選挙活動は政治ではないだろう。忘れやすい報道はこういうことの顛末は一切触れない。あきやすいのは世論より、報道である。
TPP問題でも自分の考えを持った報道機関はあるのか。法人税の5%減税がどんな意味を持つのか。領土問題とは何か。防衛問題をどう考えているのか。食糧の自給をどうすべきと考えているのか。そうした問題意識があるのかさえ疑わしい。きちっとした論説を是非とも展開してほしい。。自分の考えがないものが、報道にかかわると国民の興味の尻尾を追い回すだけである。だからすぐ忘れる。小沢問題にも及ぶ政治資金とは何か。企業献金とは何か。そして税金で負担する政治資金は正しいかったのか。批判精神を失い、野次馬根性だけで動きまわることは、迷惑なだけだ。村木さん事件の報道の検証をすべき姿勢。この事件での報道の役割はどうであったか。検察からのリークで報道は何をしてしてしまったのか。分析をしなければならない。検察の総括の分析も必要。そうしたことをきちっとするのが報道ではないか。戦争に加担した報道機関。今また検察に加担した特に読売新聞の報道。