水土の再生8 腐植と堆肥

   

和留沢の耕作放棄地の開墾をした。その土壌の素晴らしさにほれぼれした。上層から積み重なる腐植質が厚く覆っている。その下の黒々とした土壌の層はしっとりとした湿度を保ち、芳しい香りを発散していた。樹木によって覆われた土地は、日照に照らされている土壌とは違う。日照は土壌生物にとって障害になることが分かる。農地を作り出すということが、土地を劣化する事になることの第一原因は日照である。永続的に豊かな土壌を保持するためには、裸地化しないということが大切になる。何かで畑の土壌は覆われている必要がある。落ち葉が良いたい肥になっている場所を山で探すと。吹き溜まりではあるのは当然であるが、加えて南斜面ではあるが、日照のない窪地の場所である。そうした竹やぶでも、落葉樹の林でも白い菌層の厚い堆肥が積もり積もっている。こうした場所を耕作地で再現することが土壌を育てるには大切であることが分かる。

良い土壌が培われる場所は風と雨に吹きさらされない場所でもある。降った雨が流れるような土地では土壌は疲弊して行く。風によって土壌が飛ばされるようなところも土壌は疲弊して行く。しかし、全く動かない土地も土壌では土壌も停滞する。土壌の下にはゆっくりと流れる地下水脈が必要である。緩やかな傾斜地の方が、良い土壌が出来る。土壌に浸透して行く生成物が土壌から地下水となって緩やかに流れ出て新陳代謝が行われる必要がある。その浸透の状態を保つためにも裸地化していることは良くない。広葉樹の森が豊かな土壌を作り出し、また豊かな土壌が広葉樹の森を維持している。農耕地に置いて、作物を育てながら、そうした森の豊かさをどのように維持できるかが、重要な見方になる。その点では、近代農法は肥料によって作物が育つという、側面だけを利用したため、土壌からの略奪的な農業になった。土壌の豊かさが失われることで、病害虫の多発ということになる。

耕作地育みながら行う農業が水土の農業である。山を豊かに育てる。その豊かな山から染み出る水を集め、稲作を行う。降る雨をダムに集めて、死に水にしてから利用するのでは、農地の豊かさは維持できない。生きた石清水を集めた農耕地であることが大きな要素になる。その山を形成する樹木も多様であるほどいい。杉檜であるから駄目ということではない。単一化することで、農地を潤す要素の何かが不足して行く。農耕地を囲む里地里山はできる限り重層的な環境である必要がある。それは農地そのものも、単一化しないことである。田んぼのように、水を大量に使えば別であるが、畑地に置いてはイネ科植物の単作にならないように、間に他の作物を作る2毛作が原則。イネ科作物を作らないとすれば、敷き藁や堆肥としてイネ科作物が畑に入れる。

堆肥の組成も、作る作物によって調整する必要がある。落ち葉中心であるか。樹木中心であるか。稲藁や麦藁中心であるか。米ぬかを加えるか、鶏糞を加えるか。笹村農鶏園では鶏小屋に藁を入れることを基本にした堆肥作りを行う。鶏糞によって、藁の発酵が促進される。そして十分発酵した1年以上を経過し堆肥化した養鶏場の床を畑に入れる。畑では漉き込むのでなく、上層を覆うように撒く。作物の耕作に応じて、適時蒔いて行く。基本的に不耕起である。作物の収穫や種まきや苗の植え付けによって畑は掘られるだけである。踏み込み温床で出来るたい肥は苗作りに利用して、畑に入れない。作物の周りはネギ以外は草に覆われている。たとえば白菜などでも、土壌が出来て来ると。特別に肥料的なものは入れない栽培でも、草に覆われた状態でも結球してくる。畑の草は、刈り払う。刈り払っても繰り返し出てくるが、その草が敷き藁のように地表を覆っている。邪魔なものは畑の一角に積み上げ、養鶏場の床を混ぜておく。

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