久野欠ノ上の水利
久野欠ノ上地区は私が住んでいる舟原地区の一つ下の集落である。今年田んぼを3,2反やらせていただいた。その他畑や果樹もやらせていただいた。隣の集落なのに水の条件が随分と違うことを体験した。久野では、三国の上、諏訪ノ原、星山、坊所、舟原と農の会関連の圃場がある。欠ノ上は初めてであった。こうして2反3反という単位で圃場はわかれている。足柄平野全体でいえば、おおよそ40ヘクタールぐらいの農地が分散している。良く言われるようにこれが、大規模化、集約化で、一か所にまとまっていたらどうだろうか。効率的と言えば言えるが、何か違うような気もする。こうして、地域に入れていただきながら、分散して存在することも良いことはある。農の会の趣旨からすれば、農家の方が耕作できなくなった農地をお借りして、耕作地にしてゆく。そうした役割も必要だと考えている。
欠ノ上で始めて耕作をさせていただいた。頑張って耕作をして、みかんから田んぼに戻したその年から、9俵の収穫という素晴らしい結果になった。この夏の高温と、充分な水量が幸いした。管理責任者として徹底した管理をしてくれた岩越さんの、力量が素晴らしい。夏ごろに、2軒の方からやりきれない田んぼがあるから、やってもらえないか。と声をかけていただいた。田んぼの状態を見て、任せても大丈夫と見てもらえたことが有難い。これは何とか引き受けなければならないと考えた。幸いというか、田んぼをやりたいという、4名の大学院生のグループがいた。その内二人は、久野に越してきて本気でやってみたいという。また、昨年5畝を一人で管理して、さらに広げたいという岡本さんもいる。何とか耕作できそうな方向になった。場所は大子神社の入り口である。全体が5枚に分かれていて、その中央を神社に続く道が通っている。神社には橋で久野川を渡るのだが、なかなか風情がある。参道のような田んぼである。
2軒の方が、そばで暮らしている。1軒は農の会のメンバーの堀内さんの叔母さんである。奥の家は大きな農家である。その方に水のことを伺った。現在3名の人が下で耕作しているので、了解をまずとらないといけないということだった。それから、何度かお尋ねした。「下の田んぼの水を優先させる。」こういう条件なら良いよ。ということになった。現在やっている方の耕作に迷惑をかけてまで、田んぼをやることはしたくない。むしろやりやすく環境を整備して行きたいと考えている。水路の事を伺う内にこの水路は下の三国の方まで使っていた、幹線水路であることが分かった。当然市の管理であるはずだから、直すにしても市の了解がなければできない。農政課に伺うと早速地域の人に立ち会ってもらって、状況把握をしてくれることになった。瀬戸さんに相談すると、自治会長と耕作している3名の方に声をかけていただけた。くまなく水路を調べたが、暗渠部分の中で、水が漏れていることだけはわかった。これが水が不足する一つの原因のようだ。
さらに驚いたことには、柿ノ上の水は、昔は深刻に不足したのだそうだ、坊所から山をくり抜いて水を通したというのだ。そう言えば舟原にある、江戸初期の溜め池群も欠ノ上に水利権のあるものだった。久野川が扇状地化して、欠ノ上では地下水化してしまうのではないだろうか。坊所から山の中を掘った水路は、石綿さんという郷土史家が調査しているそうだ。今度お話を聞いてみたい。水路が久野川の上を渡るための橋が、大子神社への参道に見えたのだ。坊所への掘りぬき水路がある山の名はは天子台という。何かとても意味ある歴史の深い場所のようだ。溜め池から来る水路はやはり、神社の北側を通り、久野川に合流する。この地点の田んぼとは本当に神田だったかもしれない。突然よそ者が来て、田んぼをやるから水を使わせてくれなど、簡単に言えることではない。田んぼの水を確保するためにこれほどの努力が重ねられている。水土の国日本、おろそかにはできない。