田んぼ巡り

   

毎年恒例となっている、田んぼ回りを今年は、7月31日に行う。暑い盛りということもあって、朝6時から行う。参加は農の会以外のメンバーでも可能なので、希望があれば申し込んでください。田んぼを管理する力量は、簡単には身につかない。農の会が地域の農家の方に受け入れられるには、地域の平均収量に負けない、立派な耕作をするというのが、目標である。無農薬とか、無化学肥料とかいうことは、自分たちのやり方であって、だから草を生やしてもいいとか、収量が少なくともいいとは言い訳にならない。農業である以上、収量はとても大切である。多分一番大事だ。生命力とか、おいしいとか、そう云うのは地域の平均収量をクリアーしてからの話だ。稲作ではそういうことが可能である。毎年回り方は違うのだけど、今年はそらやさんの感想を聞きながら、回れることになった。あくまでそらやさんの指導ではなく、感想を聴かせてもらえる。

そらやさんの加藤さんは農の会では一番稲作の知識がある。わからないことがあると、大抵聴いている。控えめな方だから、強くは意見は主張しないけれど、何時もなるほどと学ばせてもらっている。もちろん農の会のどの田んぼの管理者の方でも、かなりの見識がある。だから順番に意見が聞ければ、相当に参考になると期待している。今回の田んぼめぐりで思うことは、自農センターの稲作である。あの田んぼの様子が、頭にこびりついている。田んぼは多様だ。こうでなければならないで無く、小田原の田んぼのやり方があるはずだと思う。小田原でも平地と、山の方ではだいぶ違うだろう。極端にいえば、田んぼ一枚一枚に、違う管理がある。久野の、近間の舟原、欠ノ上、坊所の3か所ですらだいぶ様子が違う。理想とする生育の姿は、かなり異なっているはずだ。

昔なら先祖代々の田んぼだろう。何世代もかけて、自分の家族がやりやすい田んぼにしたのだろう。慣行農法であれば、全国一律でも大きな間違えはない。除草剤をうまく使えば、雑草は抑えられる。しかし、除草剤を使わない稲作ということになれば、とたんに自分の田んぼの方法を見つけるしかなくなる。坊所で成功したやり方が、舟原でうまく行くとは限らない。これは実感である。10年成功した。米ぬか除草がダメになったと石綿さんは言われていた。大変なことである。いつでも、どこでも、だれでも、と取り組める技術をなんとか作りださなければ、除草剤を使わないほうが望ましいとは言えない。いうなら、是非ともあの炎天下の田の草取りに来てもらいたい。あれが、農家に跡取りに嫁が来ないという原点である。昔の人は嫁が来ないで済んだけれど、今の時代すぐ何町歩である、身体を壊す。昔は何反も田んぼがある家など少なかった。そんな家は農夫のいる大百姓である。

田んぼめぐりであった。田んぼの見方、稲の見方を広くすること。自分のところのやり方しか見ないでいると、田んぼを見る目の成長が少ないのではないだろうか。私の場合は、やむえずというか、足柄地域のの至る所10数か所で田んぼをやった。その結果、少しづつ比較できるようになってきた。もちろん入口あたりのことで、とても全容はわかない。この田んぼでもう1俵取るにはどうすればいいかということが言えるようになりたい。そのために、田んぼめぐりをする。現場で話し合う。これが一番研究になるのは、当たり前のことだ。しかも、みんなが似たような有機農業を10年も試行錯誤しているのだ。それでいて田んぼの姿は、だいぶ異なる。何故梅の里があれほど立派な稲作になったのか。今やさんの話が聞ければ、すばらしく参考になるだろう。

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