鯨、イルカ、マグロ、ついでにトヨタ
捕鯨と言うとナショナリズムがゆり動く。税金を使った1500頭もの調査捕鯨という名の商業捕鯨。事業仕分けはどうなっている。日本人は調査研究を拡大解釈して、ずる賢い商売をする人間と世界に宣伝している状態。脱法行為が世界の普通の意見。早急に中止すべきことだ。巷ではすべてを日本パッシングとしてもりあがる。日本も落ちぶれてきた。なにやら、追い込まれたナショナリズムが芽生える。テレビでのお調子もんなどは、勢いあまって気に入られそうな、伝統文化論など発言を始めている。映像的にはクロマグロのトロはうまい。などとすし屋が映されることになる。世界での報道はシーシェパードに対する日本の暴力行為が、流されている。日本では調査捕鯨側の一方的な映像を繰り返し流す。何かおかしい。鯨など食わなくてもいい。何が伝統文化だ。南氷洋で捕鯨するようなことは、日本の伝統にはない。敗戦国日本が捕鯨オリンピックで金メダル。意図的に作られた日本人のナショナリズム高揚。
かわいいからアザラシは殺すな。こう言う感情論も一般に受けが良い。しかし、アザラシの漁業被害の方は、どう考えるべきなのか。アザラシが増えるのは、鹿の急増と森林環境保護の問題に似ている。鯨がいまの三倍居た時代も海にはもっと魚が居た。人間ほど増えて困る動物は居ない。原理主義がでてくると危ない。適度にバランスをとると言う事は出来ないのだろうか。里山の思想である。手入れの範囲で自然と関わる。マグロについては、地域漁業の範囲ではいいだろうというのが、ヨーロッパの考えのようだ。遠洋漁業の不愉快な感じというのは、確かに存在する。朝鮮の船が日本が伝統漁場だと考えていた所に、公海だと言う事で出現する。取ったスケソウダラの身は捨てて、卵だけを陸揚げしたりすると、なんかやられたという感じがある。オオストラリアでも同じだろう。遠洋漁業は止める方向がいい。
では近海のイルカ漁はどうか。一度富戸港で見たことがある。イルカは平和的だから、殺されると思わないで、のんびり網で囲われてしまう。残虐で血の気が引いた。何でこんな事をするのか。思わず抗議をしてしまったら、このときは水族館に頼まれた生け捕りだった。鯨・イルカ・マグロは水銀蓄積に問題がある。食物連鎖の頂点にあるから、当たり前の事実だ。こう言う事には無神経な日本でさえ、妊婦の鯨油を食することは、控える事になっている。日本人の頭髪の水銀残留は世界で特出して高い。牛や豚を欧米人は食べる、と主張する。こう言う時にこそ、日本の伝統食を持ち出すべきだ。肉はたまに食べるぐらいが丁度いい。そもそも、肉は毎日食べるようなものではない。身体の維持にもその方がいい。世界の食糧事情を考えたら、肉を常食するような事は避けるべきだ。家畜虐待の問題もある。狭い、暗い場所で飼い続ける悲惨な実態を考えたら、肉を食べる気にはなれない。生き物を食べなければ生きて行けない人間は悲しい存在だ。
世界の大多数の人が嫌がるようなことは、出来るだけ止めたほうがいい。それが日本の安全保障だ。本当の意味での国防になる。マグロも大西洋のものまで食べることはない。マグロはご馳走である。年に1回特別な日に少し食べれば充分である。飽食の時代というけれど、マグロを毎日食べるような事が、マグロの美味しさ、有り難さを薄れさせている。ついでの事だが、トヨタは先日日本の会社でないと教わって、なるほどと思った。アメリカの会社なら、アメリカがいくら叩いても、それは日本人とは直接は関係がない。トヨタの企業としての、底流に流れる冷たい人間的でない仕組みは、確かにアメリカ的能力主義なのか。強いものが勝つ、弱い人間は使い捨てでしょうがない。是非ともトヨタには、早くアメリカに本社も移してもらいたい。私のようなものはつい本社が日本にあると、日本の会社と思い込んでしまう。