泥窯制作
以前から、野焼とか泥野焼窯とか、野焼き土窯とか呼んできたのだが、どうも実態が伝わらなくて、もうあっさりと泥窯はどうだろうか。野焼という言葉が誤解を生む所があるようだ。13日に陶芸家の兼藤忍さんの指導で、5回目かの泥窯を敢行した。一月前に作品作りをみんなでやった。石楠花の家で静かに待っていた作品たちである。充分に乾燥していた。今回は「植木鉢を作る。」がテーマだった。作った器に自分のイメージした、植物を植え込む。ここに焦点を置いた。これは案外難しいが、面白いテーマであった。陶芸の作品を作るということは、自分の生活空間で使えるもの。どんなものがしっくり来るか。ここが案外に繋がらない。この繋がらない何かを、繋げる努力を自分に課して見る。自給の暮らしの器作りである。芸術作品とは一体何か。という根本まで一続きに違いないと考えみる。暮らしに必要な絵を描いているのだろうか。
写真は今回の3作品である。一番左の土偶風のものは、「土偶型マスデ鉢」である。マスデバリアの小さなものを4株植え込みたいと考えて制作した。土偶展で圧倒された、中空土偶の影響が強烈で、イメージすると土偶がわいてきてしまう。中が壺になっていて、そこに水を貯めると、自然に器に水が染み込んで蒸散する。気化熱を奪って、いくらか涼しくなるので、マスデの生育がいいのではないかという思惑である。中央は落語の「あたま山」をヒントにしたもので、頭が花盛りのイメージである。花簪というイメージもある。頭山の大胆、アナーキーな発想が少しでも入ればと思ったのだが、案外に常識的な結果になっている。飛び出たと思っても、自分の中にいる。一番左が、「はなかご風苔浅鉢」苔の美しさが少しでも生かせればと思い作った。実は苔の美しい林が近くにある。そこの苔を植えてみたいと思っている。
泥窯のすごい所は、これほど壊れやすい形の作品が無事焼成できるところにある。誰しも割れると思うだろう。苔浅鉢の渡した握り手は、後でどべいで貼り付けただけである。乾かす段階で、既にひびが入っていた所があって、割れ落ちると思っていたのだが、ひびが広がることもなかった。あたま山では調子の変化を期待した。硬い感じ柔らかな感じ。ぬるっとした感じ鋭い感じ。この粘土の表現巾の広さには脱帽する。土偶鉢は思い切って、焚口に置いた。私のものなら、割れても良いというのもあったが、1000度を超えた、焼成になっている。置く場所によって、当日の風向きによって、炎の当たる方向が変り、全体の調子の変化が出来る。これが又泥窯の妙味で、じつに面白い変化がでてくれる。今回は取り出しながらの、いぶしに松葉を使ったが、自然な柔らかな調子が出たと思う。
泥窯は省力である。エコ窯である。48の作品を入れたのだが、薪と炭と木屑などの総量で、20キロ位だろう。稲藁は、藁たばで40ほどか。泥は田んぼの土で、コンテナに3箱。朝の6時過ぎから窯作りを始めた。窯の完成は9時くらい。火入れの儀式をして、徐々に温度を上げていった。。焼成の終了は8時ころだったから。11時間の焼成。まだ窯の中には燃えていない木が炭になってあるぐらいだ。温度は今回立ち上がりで温度計を割ってしまって、違うものを急遽持って来たのだが、もう一つ確かではないのだが、あけた穴から見た炎の色では1000度越えた所があったのは確かである。熱い状態で取り出して、いぶし穴に入れては、松葉で被った。出来た作品は笹村展示室のお披露目を兼ねて、21日からしばらく展示をさせてもらう。
昨日の自給作業:ジャガイモの植え付け1時間 累計時間:1時間