タッズよ、ありがとう
『タッズよ、ありがとう』玉那覇 葉音著が送られてきた。手に取るや否や、一気に最後まで読んでしまった。涙が流れて止まらなかった。タッズはアメリカン・ピット・ブルテリアのショードッグのチャンピオン犬である。あえて、ショードックとつけなければならないのは、ピットと名前にあるように、アメリカン・ピット・ブルテリアは闘犬用犬種として一般には見られているからである。この不幸な犬種は、最強の犬と呼ばれる不幸を負っている。かつてのブルバイキングに使われていた、ブルドックと同じ運命である。高校生当時、ラブラドルリトリバーとブルドックを飼っていた。それは父も子供の頃ブルドックを飼っていて、その叔父は明治末期に横須賀で大津ブルドックケンネルという、犬舎をやっていたと、何度も聞いていたからである。ブルドックほど魅力がある犬は居ないと、刷り込まれていた。本気で飼ったブルドックはとても病弱だった。夏の花火の音に驚いて死んでしまった。
また、飼いたいと思いながらも飼いきれないだろうと考えて、ラブラドルを飼っていた。2頭のラブが相次いで長生きして死んだ。又ラブを飼おうかとも考えた。この犬も、確かに魅力があって、賢さが群を抜いている。しかし、自分の年齢を考えると、ブルドックを飼えるラストチャンスの年齢が近づいている。悩みに悩んで、ブルドックを探していると、和歌山の人で、ブルドックとブルテリアの交配種をホームページで告知している人がいる。これだと直感した。この交配なら、丈夫であるし、両種の良さを表している可能性がある。今ならまだ飼えるのではないか、20年の付き合いを考えると、最後の機会に違いないと確信した。それで我が家に来たのが、ドンチャン騒ぎのドンチャンである。雌一匹で飼うのでは可哀想なので、雄犬を探した。それが京都のグローリタッズ犬舎の雷田である。ピットブルの家庭犬としての魅力を世界に認知させようと決意している人だった。
タッズ犬舎から来た犬を飼う全ての人から、タッズ父として慕われている人である。この本にあるように、タッズという名犬に人生を変えてもらった人である。そして、この不幸な運命を負った犬種を、認知してもらうために生きている人である。タッズファミリーとしての同意書に判を押さなければ、譲れない。京都まで来てもらわなければ譲れない。部屋飼いが出来ない人には譲らない。我が家にも、どんな飼い方をしているか確認に見えた。京都の犬舎に伺うと、初対面の私に対し、タッズは堂々と近づいてきて、その大きな舌で顔をぺろぺろ舐めて親愛の情を示してくれた。博愛主義である。警戒心というものがない。じゃれているのではなく、受け入れてくれている事がわかる。本当の強い心を持った犬種だと言う事がわかった。こんな犬に育てなくてはいけないと、考えた。雷田を連れてかえる私たちを駅まで送ってくれた、タッズ母は別れが辛くて泣き続けていた。
犬を飼うと言う事ではない。犬から学ぶと言う事である。子供の頃から、犬から教えてもらったことばかりである。犬の方が人間よりだいぶ優れている。我慢強い。誠実である。心が大きい。差別はしない。もし犬のような人間が存在すれば、まさに聖者である。その代表のような犬種が、ピットブルである。ラブラドル以上に頭が良い。この犬を一度飼った人は、もう他の犬を飼う事は出来ない。問題は私の体力である。力が私より強い。私をを守ろうと考えたら、雷田は何も怖れないだろう。だから、私にとって最初で最後のピットブルだろう。一つだけ残念な事がある。それはこの犬種はまだ、断耳があることである。それは闘犬の歴史を示している悪習だとおもう。雷田は断耳していないが、とてもカッコイイ。充分の犬相である。