みかん畑の再生
養鶏場の前にある、みかん畑の伐採を行った。養鶏場に続いた、南にゆるい傾斜のとてもよい畑である。眺めは海までの展望があるし、明星山の眺望も悪くない。みかんを片付けながら聞いた話なのだが。その昔は、スイカを作ったそうだ。丸舟マークのとても高価なブランドスイカだそうだ。当時はスイカは5年間畑を空けるという作物だった。スイカを一反作るなら、畑が5反無いとならなかった。山を開墾して、畑にして先ず、スイカを作る。それから5年間はスイカは作れない。その空けて居る時に大根を作るのだそうだ。だから、大根の方も舟原の特産品になった。冬の大根干しの景観は山が白く見えるほどだったそうだ。たくあんを漬けるのだ。たくあんを出荷していたのだと思ったら、それもあったが、箱根の旅館へ行って旅館で漬け込んだそうだ。農家と旅館が契約栽培をしていたらしい。旅館ごとの塩加減などの味の希望に合わせて漬けるのだそうだ。リヤカーを曳いて、箱根の旅館までだから、それは大変な事だった、としみじみ言われた。
これはとても合理的な方法だ。これからの小田原の農業の方向の参考になりそうな話だった。石綿さんのキューイを使ったスイーツ。田中さんのお茶を出す旅館。ここまでのあり方は時々聞く話である。さらに旅館の考えに沿って、小麦を栽培し、旅館の考えに沿って製粉し、パンを焼く。農家と旅館の連携による、新しい産品。先日の箱根地産カフェの考えではないか。地域ならではの地域産品を作り出すこと。昔は普通にやられていたことだったとは驚く。この地域の農業のもう一つの柱が、葉タバコである。葉タバコとの組み合わせで、ソバが作られたそうだ。これもまた、一年の耕作の手順がうまく合うらしい。スイカも、大根も、葉タバコも、ソバも、お茶とみかんに変わっていった。さらに、みかんがキューイになった。しかし、みかんの先を考えるしても、農業後継者が居なくなっている。みかんの後が見えないのが、現状である。
冬になってみかんを作ってくれないかと、頼まれた。誰かみかんをやる人がいれば、それでも良いのだが。そう頼まれて、探したが。やはり見つからなかった。みかんを片付けて、畑にしてもいいなら、やりたいという人が見つかった。土も良いし、日当たりも良い。水は養鶏場にあるので、使える。但し、みかんを片付ける作業が出来ない。と言う事で、私が片付けはやることにした。と言っても、一緒にと言うことにしてもらった。昨日は岩越さんと、トレスさんと、笹村の3人で半日の仕事になった。片付け終わって養鶏場から眺めると、風景が変わった。みかんも良かったが、畑にするのも悪くない。ネギと、ショウガを作るといっていた。それでカレーを作って、食べてもらうと言う事が出来れば、最高の組み合わせになるのだが。当然笹鶏を組み合わせて。この素晴しい眺めを売りにする。
ミカンの木はここ養鶏場を作った頃、やっと収穫が始まった木だ。まだ若い充実した木だ。上の方の3本だけ残してもらった。大切に育てていた事は見ていて分かっている。除草剤を使わないで済むように、ナギナタガヤを蒔いて、叢生栽培していた。忍びなくて、全部は切れない。出来れば笹村が2本だけ管理したいと思った。後1本切ったほうがと思いながら、昨日の所は、3本残した。切るのはいつでもできる。抜根に関しては穂田さんにお願いしてある。一日で出来ると言われていた。そこまでやれば役割が果せる。ご近所の方に、畑を使ってくれて良いよ。と声を掛けてもらえたのが、とても嬉しかった。10年舟原で暮らしたのだと思った。若い人が、畑の耕作をしてくれることになった事も良かった。欠ノ上でも、若い人が1反畑をやれることになった。少しづつ久野での活動が繋がってきている。