皇室での不登校
まさか、学習院の小学校でこんな事が起こるとは、前代未聞の出来事である。皇太子家の子供が不安で学校に行けない。信じがたいことである。こんにちの日本社会の不安の「象徴」のような出来事である。天皇家の置かれた、不安定な微妙な位置関係が問題の奥底にある。「社会の矛盾の全ては子供に表れる。」大学の時教えていただいた、小松教授の名言である。子供に今表れている問題現象の全ては、たどれば社会的矛盾に突き当たる。マルクス経済学から生み出された考え方と言われていた。しもじもの私には、あずかり知らぬ所だが、その昔皇族の子供が学校に行く場合、ご学友という者が居たらしい。陰になり影になり、皇族の級友を助ける役のようだった。私にそう言う事を教えてくれた、人の年齢から言って大正時代の事らしい。ご学友だった人と友人だったといっていた。その人も、直ぐ家系図を持ち出す人で、やんごとなき家柄のようであった。
今の天皇に当たる人の裏話を色々聞かせてくれるわけだ。もちろん皇室を尊敬しているのだったから、悪い話をするわけではない。基本どれだけ偉いかだから、大体は忘れた。お金を知らなかった話。学校の帰り道、商店があって、「これを下さい。」と言って、当然のごとくもらって帰った。というような類のご学友の話。学校に行きたくないだろうというのは、よく分かる。普通で無いものに対しいじめを行うのは、珍しい事ではない。ある意味自然現象である。普通でないので、過剰反応が起きる。憲法においても、皇室の人は普通の人と同じではないと規定されている。そういう時、手助けをする仕組みは、今はないのだろうか。子供の頃からカメラで監視されての暮らし。普通の人には堪えられるものではない。人権問題ではないか。早く解放してあげたいものだ。母親の病気もこのことで、悪化しなければ良いのだが。
皇太子はとても登山が好きだ。結婚前は一年に10回もアルプスに登ったような記憶がある。これだけ山に行くには、それなりの訳があると思った。印象的にはとてもまじめな好青年そのものであった。「どんなかたを伴侶として、お望みになられますか。」という質問に、「美しいものを、共に美しいと感じられうような人」と答えた。立派なこれ以上の回答は考えられない。常に用意周到である。文化を持って、日本人の範となる。そう言う事を目指す大変さ。美しいという、価値観を伴わない意味。自らバイオリンを演奏するからと言って、音楽を楽しむ人がいいですとか、ファーンであるというブルックシールズさんのような人とは言わない。もちろん不登校は皇室の問題ではなく、日本一般の事だ。嫌なら行く必要はない。学校がとんでもない状況である場合があるのは、覚悟しないと。学習院なら、慌てて補助教員を配置できるが、一般校では、放置されていることも珍しくない。
甥の不登校を2人預った。逃げ場があったことが幸いしたと思う。皇室には逃げ場がない。1週間学校を休めば大事件である。あまりに可哀想だ。もう皇室は止めるべきだ。皇室を持ち上げて、自分の国家思想を補強しようという、政党や人間に利用されるだけだ。徐々に役割を減じること。外交利用は最小限にする。小沢氏の無理押し疑惑が再発しないようにしてもらいたい。今の天皇の位置は、敗戦という混乱期に、苦肉の策として、本来なら戦犯として裁かれる状況を回避して、作られた憲法による立場に、今なお立脚している。日本の政治は民主的なものに生まれ変わるために、今生みの苦しみにある。まだ紆余曲折を繰り返さざるえないだろう。その時に、皇室は静かに見えないほど良い。徐々に役割を低下してゆく。公務もドンドン減らす。好きで野球を見に行くのは、公務でないほうが楽しめるだろう。