田んぼの環境力
田んぼはエコだ。たんぼは環境にいいらしい。社会的な共通認識になってきていると思われる。何故田んぼが環境に良いというのだろうか。少し整理してみる。小田原にも何度も来てくれている、宇根豊氏などが主張されてきたところである。宇根氏は農業普及員として、実際の田んぼを見てきた人である。自分でも田んぼをやられている。百姓仕事が日本の国土を作り出した。畦塗りは米作りの為に、毎年繰り返し行われてきた、ダム作り。日本の水田面積2,556,000haに5センチの水深をかける、よく解らないが膨大な12億7800万トンの水量。これだけの湿地がある地域は少ないだろう。2000年は続いた事である。その人間の営みに順応した、様々な生き物が日本の国土に広がった。里地里山的、手入れによる環境醸成のひとつ。何故田んぼには多様な生き物がいるのだろうか。
いよいよスギ花粉の騒ぎになる季節だが、杉の人工林の中は自然のようだが、むしろ工場のように見える。昆虫採集を杉林の中でやろうと言う子供は居ない。アゲハもいない、クワガタも見つからない。実は、畑というものも工場であって、いわゆる豊かな自然とは、距離ある。生き物の世界ではなくなっている。自然保護をやっている友人の一人は、耕作放棄地にしておいてくれた方が、よほどありがたいと言っている。このことは生き物調査をしてみると、良くわかる。自然農法のキューイ畑と杉の人工林は同じレベルの、生物の量である。これが、キャベツの単作の慣行農法の畑と成ると、草も生えないし、虫も暮らせない。それが農産物工場としての優れた環境である。農地は原生林やただの湿原とは、異なる緑地帯なのだ。虫も住めない緑でないと農産物工場としては困る。エコの緑とは言えない、「緑偽装」は言い過ぎか。
これは農業としては、普通に言われる事で、世界の農産物市場での競争力を高める。大規模化して、大型機械を利用する、生産性を上げる農業。これを目指す事は、大げさに言えば、生物多様性を保証する自然農業を破壊して、沈黙の砂漠を広げて行くことになる。だから、耕作放棄地の方が、環境保全だけ考えれば、豊かな自然と言う事になる。生物多様性で言えば、植林の山でなく、鎮守の森が一番優れている。多分耕作放棄地はそれに匹敵する、生き物の最後の逃げ場ではないか。山の中は豊かな自然である。実はこれが違って来ている。いまや人工林が日本の国土を覆うように広がり、全てが耕作地化している。日本の生き物達は危機的状況に追い込まれている。これが、人間が暮らしてゆくためにやむえない、むしろ望ましい事として行ってきた、日本の60年の姿である。
田んぼは最後の砦なのだ。水という、調整能力の高いものが関わる事で、人工的でありながら、豊かな生産を上げられる。実に絶妙な仕組みがある。単位面積当たりの使用量世界1の農薬、化学肥料でありながらも、かろうじて自然を破壊するのでなく、自然を維持することが出来た生産工場であった。一つの田んぼで、農薬の使用が減る。これが今の日本で、最も環境に良いことである。これは水と言う不思議なもののお陰であった。田んぼを止めて、ナス畑にする。これは一つの自然が失われる事を意味する。2つの田んぼがなく成ると言うことが、水路が無く成ると言う事になる。水路の役割も又大きかった。一つの自然水路がU字溝になる事で、ホタルが失われる。今里山に残る、水田の一つが失われる事をイメージする。千匹のカエルは居なくなる。夕焼け小焼けの赤トンボが1万匹居なくなる。解決は簡単なことだ、日本のお米を毎日食べるだけで良い。
昨日の自給作業:ヒヨコの準備1時間 累計時間:3時間