堆肥勉強会
小田原有機の里づくり協議会主催の堆肥研究会が尊徳記念館で開かれた。中心になって企画してくれたのは、がんこ村:報徳農場です。どれくらいの人が集まるのだろうと思っていた。有機協議会と言う体制が迅速にことが進めにくいと言う、ところがある。堆肥の勉強会を冬の間にやろうとはなっていたが、具体化が遅れ、間際になっての発表になってしまった。しかし、人数を数えたのではないが、7~80人参加されたのではないだろうか。とても熱心ないい勉強会になった。藤原俊六朗先生は、以前は神奈川県の農総研に居られた。当時から堆肥の第一人者として著名であった。農の会でもたぶん、10年ぐらい前に山田純さんの企画で、来ていただいたことがあった。今は明治大学の客員教授である。先生の講義を勉強だけしていれば良いという生徒が、実にうらやましい。藤原先生の特徴は、物腰は柔らかいが、断定的なところである。学者には珍しいタイプかもしれない。
有機の里でも、堆肥についてはさまざまな意見がある。藤原先生の堆肥論と比較しても遜色のない、全国的にも着目されている実践者がいる。持ち込まない持ち出さないの自然農法を実践をされている、石綿敏久さんである。堆肥は要らないと言われる。しかし、藤原先生のような、学問的視点は農業技術を、誰にでも出来るものにするためには、不可欠だとおもう。名人の直感や技の世界から、技術の分野に農業を整理してゆくことが、有機農業普及の大切な視点である。自然農法をされている方だって、生ごみは出す。今小田原で行われようとしている生ごみの堆肥化の研究は、日本の未来を決めるほど重要な事だと思っている。循環する社会形成が未来に繋がってゆく、課題である。20万都市で、生ごみの堆肥化に挑戦した地域はない。小田原モデルの挑戦は、日本の未来の問題だと考えている。
「家畜や人間のウンコより、生ごみの方がいい堆肥が出来る。」当然の事で、食べ物はウンコより栄養がある。ウンコはかすである。しかもウンコより安全である。問題は分別や搬送。堆肥にするほうは解決している。このように藤原先生は言われた。次回、4月3日の堆肥勉強会には是非とも行政の方の多数の参加が必要である。先ずはいい堆肥を作る研究である。100年200年畑に入れて、問題が起きない堆肥を作らなくてはならない。有機の里の耕作面積が100ヘクタールあるとしたら、10アール2トンが適正規模との事だから、2000トンの堆肥が必要な計算である。2000トンの堆肥を作るには2万トンぐらいの生ごみが必要になるのではないか。すでに現在ある有機農家だけでも、小田原の生ごみの半分は吸収できる規模なのだ。家庭で行えば、なまごみが半減する事は間違いない。
農家の側から堆肥を考えるてみる。堆肥を作る労力、畑に入れる労力、これが大きすぎて利用できない実状がある。いい堆肥が簡単に使えるなら、使いたいと言うのが普通の農家と考えて間違いない。堆肥は行けばもらえるというぐらいの状態でありたい。場合によっては頼めば持ってきてくれるぐらいのサービスが必要だろう。もう一つは自分で生ごみ堆肥を作る農家への助成である。堆肥の製造は鎮江紅酢工場の堆肥場が一番合理的であった。一箇所に集めないで、ローテク、ローコストで処理する。今の焼却処理よりコストがかかるようでは、永続性がない。堆肥をコストをかけないで処理するには、臭いの問題と堆肥製造場所の問題がある。これには市民の理解が必要である。堆肥を作ることの意義を充分にわからないと、燃やして灰にする方が、あとくされが無いと考えてしまう。その為にはまず、ダンボールコンポストで意識改革である。