2010年謹賀新年

   


一年の計は元旦にありと言う事で、2010年の事を考えてみたい。新しい方向が出てくる年になる。還暦を過ぎて、日々之好日。ますます隠居仕事である。いまさら、嫌々やるような事は何もない。昔からそうだったかもしれないが、もっとそうなりたいと思う。耳に従うと孔子様は言われる。耳を疑うような事件の多いい毎日だが、60にも成ると人間が成熟してきて、人の言葉が聞けるようになるらしい。この点では私は失格で、言いたいだけ言って、人の言葉を素直に聞けない。こう長年言われ続けているので、耳にしたがって、何とか人の言葉を聞けるようになることが、今年の課題なのだろう。これは人だけでないのだろう。土の言葉、水の言葉、風の言葉。草の言葉、木の言葉、森の言葉。素直に耳に従えば聞こえてくることは多いはずだ。自分という個性で聞こうとするから、聞こえていても聞こえない。

「あしがら農の会の活動」「美しい久野里地里山協議会」「小田原有機の里協議会」「生ごみ堆肥化検討委員会」どの活動も成果を出せるか。正念場であります。あしがら農の会は「地場・旬・自給」の基本理念が、いよいよ問われる時代です。「地域主義・環境調和・自己責任」こうしたことが日々の実際の暮らしの中で、現れてゆくことでなければならない。
里山協議会は助走期間が終わり、実際の活動は今年からと言う事になる。地域の実業に関わる活動に、なれるかどうか。軋轢も起こるのかもしれない。
有機の里作り協議会は地域農業として、その活性化に寄与できるのかどうか。農業は戸別補償で、いよいよ実質を失うだろう。本気で実業としてやるものをどのように育てるのか。
堆肥化委員会はモデル事業が始まる。軌道に乗せるためには様々な配慮工夫が必要となる。さらに本活動に向けての、構想を立てる年になる。小田原方式が全国モデルになりうる、しっかりとしたものにしなければならない。

自給的な暮らしも「笹村農鶏園」として新たな気持ちで再出発するつもりです。1人の自給は1時間の労働と、100坪の土地で可能。誰でも取り組める食の自給を進めます。農地法が変わり、誰でも農地が利用できる道は広がりました。気軽に取り組める田んぼや野菜作りを、技術として集大成する必要があります。まとめ始めて3年になるので、言葉で整理をしてゆかなければならない年です。田んぼの技術については、欠ノ上田んぼが始まり、比較対象という意味で課題を整理して取り組めば、成果も多いいはずである。畑については堆肥というものを、どのように考えるか。暮らしの循環と堆肥。このことを課題にしたい。

やっと、自分の絵が描けそうな気がしています。様々やってきたことが、絵に繋がってくる気がします。これは偉そうにそう思っているわけではなく、むしろ自分の分で絵が描けそうと言う事です。範囲が見えてきたみたいなものでしょう。「鶏ってそうなのか。」こんな風に気付いた事が絵にどのように表れてくるのか。実際の線に、色に、形に、表れてくる意味。このことをもっと探りたいと思う。具体的には自分のための画廊を作る。絵の部屋を作る。絵を良く見る事。描いたものを見る事。ここを重視したい。今まで描いてしまえば終わりにしてきた。描いた絵と対峙すること。今年はそのための画廊を作る。自分が見るための、自分の勉強のための画廊。

今年も読んでくださるなら、ありがたいことだと思っています。本年もよろしくお願いします。

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