絵を描くと言う事
昨日たまたま、東京の渋谷で集まりがあって出かけた。少し早めに出かけてあたりを歩いてみた。みやますざかと言っただろうか。第一園芸とワシントンケンネルのあった辺りまで。今国連大学が出来てしまった所におばさんの家があって、何度か歩いた事がある。志賀昆虫の所から、3軒の古本屋が続いてあって、一軒は希少価値のある詩集が並んでいたが。アミノは皮革専門店だったが、今もアミノの名前のビルがあった。そうだ帽子の専門店のヤマダはまだそのままあった。ワシントンケンネルは、犬はいなかったが、あることはあった。ここを曲がって裏に入った所におばさんの家はあったはずだ。とするとそのちょっと手前で、「金銀堂」をしばらくやった、父のいとこの人がサヤカさんとかいったが。昔の記憶を辿りながら歩くと言うのも、歳をとったと言う事だろうが、実は小田原の知り合いの方の娘さんが、作品の展覧会を仲間とするというので、出かけたのだ。
多摩美の2年生だそうだ。8人で『粒』展というものをやっていた。若い人の作品を見て、作品を作ると言う事はどう言う事なのか、そんな深刻なことが急に頭に沸いてきて、ふつふつとしながら、渋谷を歩き回ってしまった。
夕陽がどういう訳か、すごく気になる日がある。畑から見上げた、夕陽が色付かせている、空と雲が自分を支配してしまう。この情景を頭の中に仕舞い込む。絵を描く種である。犬を早朝散歩していて、見下ろした畑の並びがたまらなく気になる日がある。あの土の色と、芽生えた小松菜。それが線と面になり、川が作る谷間全体を構成する。この仕組みも頭の中に仕舞いこむ。今年は小田原に来て一番の紅葉だった。珍しく赤くなる木は、赤くなった。いつもなら、暖かい小田原では茶色までだ。これがイチョウの黄色に生える。見事な裾模様だ。この美しい色も頭の中に仕舞っておこう。先日の環境調査で久野川の流れの渦巻きが頭に残っている。
頭の中にメモしてある、様々な材料の発酵を待つ。全てを忘れる。頭の中に一度は強烈に印象付けられているが、それを忘却する。そうして、熟成を待つ。発酵のためには、身体を使うことがいい。畑をただ耕している。身体が自然と一体になるような、ただただの農作業がいい。言葉で言えば、「絵を描くように畑をやり、畑をやるように絵を描く」と言う事になる。絵をいざ描く時は、何かを考えると言う事はない。自分と言う何かに任せて、ある意味機械になって身体に沸いてくるものに合わせて、画面を作ってゆく。きっとその時に頭にしまってあった、様々なメモが、蘇えってくる。それは様々な形で混合されながら、画面に現れてきたものに反応しながら、突然鮮明になったりする。どこかに向っているのかどうかも考えないが、描き出した時は、明確なテーマ、アイデアで出発はする。しかし、描き始めた以上、畑をやるようにただただ耕してゆく。
絵を深めるためには、自分の中での熟成がいる。絵として立ち表れるまでには、すっかりそのことを忘れているぐらいの時間が必要となる。忘れると言う事で、とらわれている様々なもの、固執して仕舞いそうな、様々な要因が振り払われる。だから絵を描くのであるが、もう描かないのかもしれない。どちらでもいいのだが、どうしてもすごい風景に出会ってしまう。この見ている自分と、この情景の関係。このすごさは記憶に残る。絵にしなければならない、役割のようなものを自分に感じる。このすごさを、自然の持つ実相のようなものは、私が絵にしない限り、留まらないのではないか。そうでなく、自然の実相を絵と言うものを形作る中で、近づいてゆけるのではないか。そして、もし絵と言う形に出来れば、人にも自然という物は、これなんだよ。と言う形で指し示す事が出来るのではないか。私がやっている絵を描くと言う事はこんな事である。