小田原市補正予算案否決

   

小田原市議会議員多数派よる、加藤市長の手法への初めての明確な意思表示。加藤市長はなかなか尻尾をつかませないでここまで来た。議会・市議会議員対策をしてきた所である。しかし、いつかは対立は起こり、明確な意思表示をせざる得ないことは、当然起こること。小田原の不思議な芯にガツンとぶつかった。もっと早く、こうした事態が起こっていたほうが良かった。さすがに古くから小田原評定と言う事で、市議会議員の行動決定に時間がかかっていた。市民参加という加藤市長の作戦に対し、どう対応したら良いのか、まともに敵対していいものかどうか。様子見をしてきた。しかし、放置している内に、外堀が埋められ、内堀まで改革勢力が迫っている。さあーさあーどうする。このままの傍観では、戦う機会もなくなりかねない。重い腰が上がったのだ。立ち上がれば市民派など物の数ではないはずの、小田原の伝統を受け継ぐ、守旧派勢力。「小僧っ子ども、ヌエの正体を甘く見るな。」

そもそも、事の起こりは「城下町ホール」。山本設計の超モダンな奇妙奇天烈カタツムリ型ホール。「古い奴こそ新しいものを欲しがるもんでございます。」傷だらけの唄のごとく、何故、小澤元市長はあれが良かったのだろう。何かボタンの掛け違えがあった。今もって、元役所の担当職員から、市議会議員に転進した植田氏は、あのホールへの未練の市議会質問を繰り返されている。一体その評価の違いは芸術観の違いとも思えない。市民軽視も困る。市議会軽視も困る。さて、さて、検討委員会のそもそもの位置づけに問題があった。ここをスルーしたのが、市議会守旧派。とっさのパスで、良くある市民参加の形式主義と考えていた節がある。市民のガス抜き。言うだけ言わせて置けばいいと言うやつ。もうあきただろう、ほとぼりは冷めただろうと思いきや、本気にするとは驚いた。いよいよの、小田原本家の参戦ではないか。市議会が全員一致で承認した検討委員会である。後でホッポリ出せばかまいやしないでは、何とも困る。

委員会は、生ごみ堆肥化検討委員会委員として私も参加する。しかし、出した検討が拒絶されるのがわかっていながら、検討などできるものだろうか。権限がないのは当然であるにしても、市議会の方でも、この検討委員会に対する考え方を示す必要があるのではないか。検討をガス抜き法として、終わらすのでは予算の無駄使いである。ガスが抜けるどころか、マグマだまりとなって、今に大噴火が起こる。市民と称する、「プロ市民」。と言った議員の方がいらした。まっとうに挨拶するものではない。と言う、腹の底にたまった長年の経験は深いのだろう。下手に噛みつかれたらえらい傷になる。やり過ごすに限る。プロ市民でもごろ市民でも良いけれど、市会議員の方こそ市民代表のはずで、当然の前提だ。検討委員会の出した考え方を、本気で精査して戴き、市民代表として意見を出してもらうのがありがたいことだ。 まえむきにゆこうぜよー。

探しても私の能力では、市長提案の予算を否決する根拠が、どういう物であるのかが不明。「その程度の事は、市の職員にやらせればいい。」こう言う事が唯一出ている意見なのだ。確かに市の職員も有能な方は多い。やってやれないことはないだろうが、さて、急場には間にあわない。先ず勉強から始めなくてはならない。それよりも、その分野の専門家に委託して、事業の形をわかりやすくするというのが、この際の普通のやり方だろう。市の職員の方がその筋の専門家より高給取りであり、安くは上がらないのだ。むしろ、市会議員の方達で、「その程度の事というなら、おまとめになっ見たらいかがでしょうか。」是否議論を深めて良いご意見を出してもらいたい。その責務もあるはず。市議会では何をどうしたいと考えているのか。明確に意見出す義務がある。そういえば、賛否すら、隠しておくべきと言う結論のようだから。とても考え方を出す、意見を公表するなど、思いも寄らないことかもしれない。

 - Peace Cafe