養鶏の変更

   

今年から隠居だ。なかなかやることがある。隠居仕事は自分で完結しないとならない。去年までは養鶏は家業だったので、夫婦でやっていた。ほぼ半々にやろうと言う事で、曜日を決めて一日置きとか、2人で行く日とかでやってきた。それも去年までのこと。今年からは、全てを1人でやることにした。鶏を飼うのはその範囲の事にしたいと考えている。私は絵を描く事を充分にやりたい。それぞれにやりたいことはあるだろうが、生計を自分の力で、立ち上げてから、やりたいことをやる。そうしなければ絵は描けない。始めからそう考えてきた。描いた絵を売って生計を立てる。というのもあるのだろうが。これが出来なかった。出来なかった理由はある。それは改めて書く。それはここでは別にして、絵を描くと言う事は、自分の足で立っていないと、出来ないことだと思う。絵が芸術であるなら、そう言う事になる。

1人で全部をやると言うのは、現状ではなかなか大変である。方針としての日常作業は11時ころ養鶏場に行く。餌を作る。卵をとる。掃除をする。草を取る。ほぼ一時間の仕事になる。12時に、鶏を外に出して、一度家にかえる。夕方5時頃、もう一度養鶏場に行き、餌を与えて鶏を小屋に入れる。このときは散歩を兼ねて、犬を連れてゆく。週に1日火曜は一日中養鶏の日にする。餌集めや、卵の配達。前日に卵の準備。金曜日は近場の人への卵の配達。週で言うと、19時間ぐらいの仕事になる。つまり一日2時間30分、養鶏にかかると言う事になる。食糧自給の方に1時間。一日8時間働けるなら、あと4時間は絵を描いていられる。正月から1ヶ月少し、こんな暮らしに変えた。少々大変になるかと思いきや、さしたることはない。「水彩人展」の間は、だいぶ手伝ってもらったが、後は何とかやってきた。やれそうだ。4月には水彩連盟展があるから、又手伝ってもらわなければ成らない。そういう意味では完全ではないが。何とか納まりそうである。

1人でやると言うのは、当たり前の事だった。にもかかわらず、鶏を飼い始めて始めての事だ。つまり、子供の頃は兄と2人でやっていた。いつもケンカしながらやっていた。山北で始めた頃は、母が結構手伝ってくれた。隠居になって、一人で初めてやるというのも、これはこれでいいものである。全てを自分流で徹底できる。今になっても新鮮な発見がある。鶏と言うのは、おもしろいものだ。そこで急に、元気が出て、プリマスロックを導入することにした。しばらく雛の購入はしていなかったが、今年は家で雛を孵化せず、松本の小松種鶏場に雛の注文をした。現代農業に良さそうな記事がでていた。そんな上手い話があるまいと思うのだが、ともかく飼ってみて、比較してみたくなった。以前から、色の違う鶏を3年周期で入れると言う考えは持っている。そうすれば、あの年寄りの白い鶏は6年目だ。4年目の鶏は随分数が減ったとか。一目でわかる。

自分で孵化しながら、色変わりに挑戦したが、これは実現不可能だった。それでも購入の雛を3年に1度入れれば、家の白。赤。プリマス。こう言う形になる。内心ではこれも難しいとは思っているが、やってみる。実は今まで導入した鶏は、笹鶏のようには飼えない。雛の成長が悪い。思うような性格でない。飼いづらいのだ。当然の事で、笹鶏は20年も交配を重ねて、自分やこの土地に適合する鶏にしてきた。家で孵化を繰り返せば、丈夫な鶏しか孵化しないのだから、系統そのものが強健なものにもなる。卵の産卵率は減少する。減少してもその分、羽数を増やせばいい、と言う事でやってきた。今年は笹鶏の孵化をしない。一年空けても、種の保存は問題ない。雛は3月3日に到着予定だ。1羽250円50羽だ。雛の床は発酵床にする。もう1度目の発酵の積み直しをした。いい床にしてあげれば、いい雛が育つ。

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