日本ミツバチ

   

蜂を飼いたい。特に日本ミツバチを飼いたい。子供の頃祖父が飼っていたから、思いでもある。子供の頃の記憶と言っても、ほとんど聞いたことでしかないのだが、いつか飼ってみたいにつながっている。そういえば、祖父はヤギも飼っていたし、2反か3反桑も作って、お蚕さんもやっていた。私には暑い最中の草取りぐらいしか記憶がないのだが、養蚕道具一式は何時までもあった。当然、田んぼもやっていた。禅宗の坊さんではあったが、坊主は自給しなければいけない。という気持ちを、はっきりと言っていた。本来坊さんというのは、自分の暮らしは自分でやるものだ。そうあるべきだと常々言っていた。昔坊主は葬式などしなかった。と繰り返し主張していた。ミツバチを飼うなら、日本ミツバチだろう。鶏なら、日本鶏であるし、蜂だってそのはずだ。それが、日本ミツバチのよさが、見直されている。嬉しくなる。地域の蜜が味わえるというのだ。行動範囲が、ぐんと狭いのでそのとき見える範囲の花を何でも、集める。

西洋ミツバチは、あっちにレンゲの田んぼがあるよと成ると、少々遠くても、そこまでみんなで出稼ぎに行く。大きさも大きいし色も明るい。その点、日本ミツバチが、色が黒ずんで小さく、いかにも日本人と繋がっている。日本ミツバチの特徴は、あまり蜜を集めないが、スズメバチに対し、みんなで防ぐ、知恵を持っている。病気や日本の湿度にも強い。飼いやすいかというと、神経質で、ちょっとした事が気に入らないとどこかへ分封してしまう。攻撃性が低いから、刺されるようなことが先ずないので、近所で飼っていても、迷惑にならない。しかし、一番困難な事は、巣を作らせるのが、木の祠のようなところで、見た目風流ではあるが、扱いがどうも難しそうな所が、始めるには相当にためらわれる。などなど。

自給の暮らしに、ミツバチは不可欠だ。砂糖大根やサトウキビという訳に行かないのだから、ミツバチはどうしてもやって見たい。祖父が力を入れたのは、戦後砂糖が無くなったと言う事で、力が入った。子どもの健康と言う事もあって、ヤギ乳や蜂蜜を薬だからと言っていた。坊さんで生臭を食べないというか、好きでなく、卵の生臭さも、嫌っていたぐらいだから、蜂蜜やヤギ乳を薬とても貴重に感じていたようだ。日本在来種ミツバチの会というものが、岩手にある。藤原養蜂場何となく宮沢賢治のミツバチと繋がっているのかと思えるが、どうも賢治の詩にも出てくる養蜂場らしい。ここで、日本ミツバチの飼育箱を作っている。盛岡には兄もいるし、時間が出来たら行ってみたい。

宮川養蜂場が久野の下ったほうにはあって、時々見せてもらうのだが、息子さんがやるようになってから、規模が大きくなった。よく見ているのでどんな所が、蜂に良いのかは大体は分かっている。今葡萄の棚を作るので、山葡萄の苗を育てているので、ここの下でミツバチは飼いたいと思っている。木陰でありながら広がっているようなところがいいようだ。箱を一端置いたら、50センチ動かしたら、もうだめらしい。昆虫利用は究極の仕事だ。人類の食糧危機を乗り切るためには、昆虫食しかないという人もいる。以前ミミズ養殖をやったが、虫という奴は独特で難しい。ミツバチと成ると、人類は養蜂の歴史も長い。話しに聞くところでは、今住んでいる場所でも蜂が飼われていた事はあるらしい。早く取り組めるといいのだが。

昨日の自給作業:あら起こしの続き、1時間、畑の草取りなど1時間 累計時間:12時間。

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