移民の事
移民する気持ちを想像して見ることがある。海外への憧れとか、現状からの脱出。しかし、その移民しようと言う本当の所の気持ちが、うまく想像できない。私が鈍いと言う事もあるだろうが。移民を送り出した状況と、現状が違いすぎている。何故、移民を選択するのか。それについては当時の、追い込まれた農村の置かれた立場の説明が普通される。これについてはリアルに想像できるつもりだ。農村の2,3男のことは、映画「大日向村」で和田傳氏が実感を込めて書いているところだ。その生の陰惨な感じは、実感としてわからないつもりはない。しかし、日本政府の行った移民推進政策は何だったのか。どうも整合性が無く。移民と日本の覇権的帝国主義や天皇制とは、どう関係してくるのか。もう少し民俗学的、民族学的に、日本人と言うものを考えてみないと理解できないのかもしれない。
アメリカ移民は特に関心がある。それはサクラメントに行った親類があると言う事も原因している。ドミニカ移民の地獄のような事例もある。移民と言うより、棄民だ。結局今になって政府は謝罪したわけだが、何故こうした事が起こるのか。耕地がないから、対策として移民、この発想の安易さにあきれるばかりだ。耕地がないならない成りに、地域開発は幾らでもできたはずだ。たぶんそれだけではないな、と言う感じがしているが、まだ分からない。わからないからなおさら、気になって仕方がない。
96歳の現役監督と言う事で、注目されている、新藤兼人氏。この人の書いた、北米移民「ある女の生涯」は、解らないながらも少しその本質を知る事ができる。監督のお姉さんがアメリカに嫁いだのだ。まるで私の祖母の妹さんと同じ状況だ。読んでいて身を切られるようだ。実にすごいものだ。最初に新藤氏がアメリカに行った時の報告として、様々事情はあるが、持参金で家族を助けようとして、アメリカに嫁いだと書いてある。しかし、それを読んだ姉が、二度目にアメリカに記録映画を撮りに行った際の、最後の言葉として、それは間違いである。自分の家は娘の持参金を当てにするような、落ちぶれた家ではなかった。必ず訂正して欲しいと、語って死ぬ。家というものが今とは違う重みで存在している。
満州の移民がある。佐久の大日向村の話が、興味深い。国策で分村した村だ。戦後満州から軽井沢に移り、再度の開拓を行う。その開拓地も今は、農業を継続している人が、兼業農家で一軒と言う事だ。農村の悲惨を生み出したのは、明治以来の富国強兵だ。産めよ増やせよ。と言う標語があるくらいなのに、何故、移民政策になるのか。そして、何故、簡単とも思えるように移民を選択してしまったのか。長野県は全国で一番満州への移民を出した県だ。これには長野教育界の問題や、当時の商業資本による、農民の生活支配。等外部的問題も大きいだろうが、閉ざされた村からの、農民誰しもがもつであろう、新天地へ脱出願望。山村特有のものがあるのか。この辺りが私にはよく想像ができない部分だ。国策がどうであれ、騙されて行くとしても、騙される下地のようなものが、ないはずはない。
分村がおおなわれた当時大日向村の詳細な調査によると、他の長野県の村と比較すると、ほぼ中堅の村であり、困窮を極めたが為に移民政策がとられたという、結論とは異なる所があるのだ。困窮だけが原因なら、さらに困窮していた村は幾らでもあったわけだ。この村に何らかの力が意図が、働いていたようだ。どうも、この村の堀川と言う人物の影響が強いらしい。もちろん簡単な推測は出来ない。移民の背景に地主階級の土地飢餓に対する不安。これは、和田傳氏の盛んに書いたところだ。そもそも和田傳氏が農村の状況を、実に肌感覚で理解をしていながら、何故、大日向村という国策映画に協力して行くのだろう。和田傳氏は確かに、困窮する農民の側から書いている。しかし、映画は満州の農民の事には及ばない。何か抜け落ちた空洞を感じる。もっと考えてみなければならないことが、移民問題の背景にはある。