看板を作る
看板を作った。看板というか表札を作った。家の入り口に『あしがら農の会 笹村農鶏園」と書いて、かけた。実用的なものだ。時々尋ねて見える人が、私の家がわからないという事がある。ちょっと通りからは奥まっていて、通りを歩いて探していただけでは、良く判らない家のようだ。それで、もう10年近く住んでしまったのだが、最小限の家を始めるにあたって、新しく見える人も居るかもしれない。どうしても表札ぐらいは必要と成った。そう思ってから、もう1年も経つ。考えても、実行に移すには、なかなか腰が重い。最小限の家の建前も23日に決まり、やっとという形で、看板を作った。そもそも、なんて書くかでだいぶ迷った。普通に出来る限り当たり前な感じがいいと思うのだが、いい言葉が出ない。あしがら農の会は、書いておきたい。事務所をやっているので、必要。
笹村はいいにして、後の言葉が出ない。『笹村養鶏場』では、ここの事ではない。笹村自給園、というのも考えたが、これは少し、ぶった感じのあぶない臭いがする。時々ある、百姓笹村、と言うような不自然さがある。「笹村農園」でいいかというと、全く現状を表わしていない。そもそも、やることが今までにないことなのだから、今までの言葉では、しっくりいかない。そこで鶏は飼っているのだから。鶏は入れたいと思う。農もやるのだから。「笹村鶏農園」はどうだろうと、一度紙に書いて見る。何か違う。それでは逆にして、「笹村農鶏園」ではどうかとなる。私が作出している。笹鶏は農の鶏。自給農のための鶏。何となく納まる気がしてきた。これを紙に書いて、しばらく置いておいた。見ているうちに気が変わることもある。1週間経って、他にも思いつかないし、そう納まりも悪くない。
いよいよ、板に書いた。板は7年前に用意してあった。切り倒す所も見に行った。枯れていい色になっている。秘蔵の板で、由緒正しい板だ。杉材だ。出所は良く判っているが、公にはしない方が、戴いた人の恩に答えることだと思う。ともかくなかなかいい板なのだ。この板は、断面が三角なのだ。看板をかける石壁に傾斜があるから、丁度いいと思いついたものだ。実は裏をきれいにした。所が、どうも字配りと節穴の位置が、良くない。この節穴が、前から気に入っているのだ。お前の目は節穴か。こう言い放っているようで、気分がいい。板にこんな穴を開けられる人がいたら、お目にかかりたい。自然のやることには、ともかく間違えがない。草の葉の傾き一つでも、間違えがない。『笹村農鶏園』これは間違えだらけなので、節穴つきという訳だ。
農の会では、犬の名前を農園名にする人が複数いる。なかなかの見識だ。でもうちの犬の名前は、雷田とドンチャンだ。雷田農園やドンチャン農園も考えてみたが、これまたすごすぎる。犬の名前を付けるときに考えておかないといけなかった。看板を出した今も、少し場違いな感じが、しやしないか不安はある。いや場違いは判っているが、何とか納まってもらいたいものだという、不安がある。おかしな奴だとは、思われても、やっていることがやっていることだから、それは仕方がないのだが。字がちょっといけない。字が自分だから、これもしょうがないのだが、字の品格の問題だ。どうみても、品性がいまひとつだ。字は、困る事に自分だ。看板に自分が出張るというのは、しょうがないが、困る事だ。字は読めると言う事が第一。そう思って、しばらく眺める事にする。
昨日の自給作業:畝たて2本。タマネギの草取り。庭の畑の耕運。2時間。 累計時間8時間