この寒かった冬
とても寒かった冬。でも小田原では、しばらく池の水が凍っておりません。光の春。辺りがまぶしく耀く日々です。梅が今になって満開です。随分咲き続けた事になります。今日は桃の節句。桃はまだ硬い蕾です。桃どころか、いつもは早い、ぼけがまだ開きません。3月で、ボケが咲いていないのは、小田原に来て始めての事です。それほどの寒さだったと言う事でしょう。しばらく暖かい冬に慣れてしまい。底冷えのする寒さに身体が驚いたことでしょう。鶏達は、良く卵を産んでいます。今日は孵化を開始します。今年は一回の孵化にするので、電気の節約もあります。電気を思うと原発付帯住宅だ。と思います。孵化は周囲の温度が高くなって始めれば、だいぶ使用電気量が違います。雛も電気無しで、床の発酵温度だけで、育ちます。どんなに寒い冬でも、待っているだけで春は来る。ありがたいことです。
今年初めて、コタツだけの暖房で通しました。今も足元は、湯たんぽです。何とか乗り切りました。モンベルの山用の下着のお陰です。厳冬期の登山に向かうような、いでたちです。当然羽毛のジャケットです。帽子も手袋もして、椅子に座っています。おかしな姿でしょうが、寒いと言う程でもありませんでした。もう3月3日だから油断しても大丈夫です。考えれば、私が育った所は、山梨の山奥のお寺です。家の中で、風が起こるのだと、いつもおばあーさんが言っていました。立て付けが悪いし、サッシなどと言うものはまだない時代ですから、家の中も外と変わらない状態です。一部屋だけ、古布を合わせたカーテンで取り囲みます。それが風で揺れているのです。それでもコタツだけ。コタツにみんな足を入れて放射線状に寝ます。沢山人がいたのです。10人ぐらいで寝たように思います。
それでも風邪を引くような事もなく、体調も良かったです。空気が悪くなって、毎年風邪を引くようになりました。肺炎にもなり、結核にも成りました。それから何となく、寒さに対して臆病になっていたけれど、今年は、ついに暖房を止められました。すごい寒がりにもかかわらず、止めれば止めたで何とかなるものだと、ホッとしています。箱根を歩きながら、Gさんから、身体の事を色々伺いました。それが実になるほどと言う事ばかりで、健康相談ウォークのようでした。「病気の状態をきちっと聞いてあげられれば、病気の半分は治ったようなものだ。」こういわれます。「良い治療とは、患者の人間すべてを受け入れると言う事から始まる。」つまり、暖房無しの寒さの事をブログに書いたもので、もう半分寒くなくなったわけです。
伊達の薄着。やせ我慢とはよく言ったものです。何かがあれば、伝わる人が居れば、我慢も我慢じゃなくなる。「電気を原発と呼ぶ」と言った六ヶ所村ラプソディーを見た感想がありました。弱い所に、困難を押し付けている、これが原発の実態です。補償金がほしいいなら核廃棄物の受け入れを。補償金を何処まで高くするか。軍事基地も同じです。誰だって嫌なものはいや。でも補償がある、仕事になる。これは、日本人の暮らし等しく全てだと思います。弱い所は、別に国内だけではない。海外の弱い国に対しても同じ構図です。アメリカのグローバル戦略に便乗して、弱い国いじめをしてないか。
寒かった冬。寒くても大丈夫と確認できた冬。田んぼのレンゲが日に日に広がります。ブログを読んで「成苗用のトレーを」送ってくださった人が、います。ありがたいことです。今年もいい田んぼにしたいです。
昨日の自給作業:サトイモの植え穴掘りと鶏糞いれ。トマトと姫冬瓜の種蒔き。1時間。 3月作業時間:1時間