笹村良水歌集
良水は父方の祖父だ。昭和11年に亡くなっている。仕事としては、謂わば今で言えば、イラストレーターだ。小学校に昔あった、掛け軸を大きくしたような図版の絵を描く仕事をしていた。曽祖父にあたる、その父親と言う人は、土佐から、維新後に東京に出てきた人で、小説を書いていたらしい。大きな新聞にも連載をしたり、歌会始の召人にも成った人と聞いている。良水はそんな家に生まれ、子供の頃から、日本画を学んだらしい。良水は後からの名前で、鉄熊が本名である。生涯、塚本さんと言う方のやっていた、出版社に勤めていた。そこが、学校の地図やら、図版を印刷し出版していたようだ。理科の教材などの標本画のようなものが、今でもどこかの学校には残っているのだろうか。こうした細かい仕事の人は、昔は肺結核になって死ぬ人が多かった。シーボルトに魚の図版を頼まれた長崎の日本画の絵師は、大体の人が結核で若死にした。良水も60で亡くなった。
図版を描きながら、良水さんは和歌を本業と考えていた。「心の声」と言う機関紙をつくり、全国の和歌の同人に千部以上を送っていた、と聞いている。家にも、書いた短冊が残されているが、どんな和歌を作る人なのかは分からなかった。そもそも、私自身は良水さんのお父さんが、鉄熊さんではないかと思っていたぐらいだ。だから、曽祖父の小説家の名前はまだ知らない。その良水歌集と言うものが、たまたまネットでぶつかった。古本を探していたら、国語・国文学・文系一般「渥美書房」と言う所で、笹村良水の名前がある。これはと思ってみると、3000円で、良水歌集が出ている。早速注文して、取り寄せた。なかなか立派な和綴じ本だ。箱に入っている。昭和10年発行となっているから、結核でもう寝ついてから出したものではないか。ネットのあり難い所だ。祖父の事が少しわかると言う事は、何か自分の事もわかる気がする。
苗床と題した歌がある。
「苗床に蒔きにし草の種みな萌えし植ゑし植ゑし植ゑても植ゑどころなき」
「こころして種は蒔かなむ苗床に残されしなえはあわれなりけり」
東京に一生暮した人だ。芝にいて、渋谷に引越し、その後目黒に越した。本の奥付けの住所は下目黒になっている。東京でも、畑が出来たのだろうか。草花の苗だろうか。植物は職業的にも相当興味があったと聞いた事がある。ともかく独特の和歌だ。前書きが興味深い。自分の歌をまとめろと言う声に押されて、まとめては見たものの、出来が悪い。大体歌と言うものに、良いとか悪いとかはない。そのときに思わず出たもので、それをこうしてまとめると、歌が出来る時とは又違うことのようだ。本にして出す意味もないのだが、もしこの先少しでも歌がよくなるための、一助になるなら、出す事も意味があろう。などと書いてある。そのあと少ししてなくなる。
こう言う不思議な和歌だったのかと、少し驚きがある。明治天皇御製薫というものに一番近い印象を受けた。全く忘れたけれど、その中の和歌は、「長く生きた人の話は、大変興味深い、心して聞くといい。」こんな調子だったと思う。今言う短歌とはだいぶ異なる。考えた事をそのまましゃべるような具合だ。どこか自分が考えている絵画の事と、通ずる所がある。この本をまとめた祖父の年齢に、今の私は近い。絵も見ることが出来ると、いいのだが適わぬことだ。父も和歌を作っていたが、まとめる事はなかった。父は戦地に長く居たのだが、その時は、自然和歌が出てきて、いいものができたと言っていた。和歌を作るには、慌しいような暮らしは駄目だ。戦争と言うのは以外に単調なものだ、と言っていた。