7、里地里山事業に於ける市民の役割

   

 都市生活者の里地里山願望を、どのような体制で受け入れるかは、これからの里地里山事業において、極めて重要な要素である。特に小田原久野地域のように、都市から、日帰りで活動が可能な地域では、良い形で、都市住民を受け入れる形が提案できれば、地域住民だけでは、維持管理が困難になっている里地里山の再生も可能になるであろう。しかし、一般に都市住民の参加が成果になることは、ほとんどない。それは、成果というより、リクレーション参加の形が模索されている、状況だからだと思われる。例えば、森林ボランティアがその良い例で、久野地域でも行われて入るが、それによって、山が管理されるようになったとまでは、とても言えない。『東京の気で家を建てる会』のように、市民によって林業が生業として、成り立つ事が基本である。この林業が成り立つと言う事を、どう方向付けるかがないまま、市民が、森林ボランティアとしてかかわるだけでは、里地里山の形成に成果はないだろう。

 その意味を前提にして、久野の里地里山事業では、地元住民と市民のかかわりは、事業の展開において、将来重要な要素となるであろう。市民の参加がない限り、里地里山事業の健全な発展は望めない。しかし、中途半端な形での市民参加は地元の住民の負担になりかねないところでもある。どのように、自立性のある形での市民参加を確保できるかが、重要な観点であろう。地域での受け入れ準備に、負担がかかり、手伝いに来てもらうことが、活動の重荷に成る事例が多々ある。市民側にしても、ボランティアで参加してあげるという意識を持つ場合もあり、思うような実績が上がらない場合も出てくる。そのため、市民の参加を初めから期待しない事業もある。久野里地里山事業としては、市民が自立して参加し、活動するもの。そのような市民をどう導き出すかであろう。

 市民が自主性を持って、里地里山活動を行うことが、重要な要件となる。市民が地域に暮らす農業者の活動を、自主性を持って補う形とならなければ、本当の意味での、里地里山の復活はないものである。補い方は、様々企画されなくてはならないが、これも市民発のものが望ましいであろう。例えば、水路清掃に参加するとしても、その水を、自分達の水田に利用しているという、前提がある場合と、ない場合では、活動の意味が違ってくる。

現在里地里山事業として捉えられている活動の内
1) 久野川・山王川、水路等の清掃
2) 不法投棄パトロール隊の結成、環境啓発看板等
3) 地域の清掃活動(広場や児童公園の草取りや清掃)
4) 個人所有の急斜面林地や公道へのはみ出した雑木等の伐採
5) わんぱくらんど周辺の広葉樹の植栽
6) 道路の端のスペースを利用しての花の植え付け

以上の活動は本来行政サービス的なものを、住民が変わって行っている活動とも言える。地域ボランティアによる、住環境の整備事業という色彩が強いものである。里地里山の整備ではあるが、住民の住環境の整備と考えた方が、より本質を表わしているものだろう。これらの活動だけでは、里山を再生する事は、不可能と考えなければならない。一方、森林ボランティアや農業関係のNPOの活動は生業と関連して取り組まれている。今後、こうした活動が、久野地域に広がり、自立性を持って取り組まれる事になれば、里地里山の再生も可能になるだろう。それは参加者がやりたくてこの地に活動の農地を見つけ、一定の収益を上げうる活動である。つまり、本来の里地里山の形成条件を市民が市民の利益において、担うと言う事になる。久野における事業は、こうしたより直接的に生業にかかわる取り組みを、市民参加事業として取り組む事が、里地里山を再生する事に成ると思われる。

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