6ヶ所村ラプソディー

   

ピースカフェ27号では、六ヶ所村ラプソディーの事を特集した。2月23日に上映会を行う。六ヶ所村の問題は日本の全ての過疎地域の問題だ。今も政府は、原子力廃棄物処理場に、色々の恩典を加えて、募集をかけている。誰も嫌がるものを受けいる事で、地域の存亡をかけざる得ない現実。これは舟原に増えていくのが、資材置き場ばかりと言う事に似ている。農業がきちっと経営できる現実であれば、こう言う事はないのだが。弱い所から膿が吹き出る。温暖化問題は必ず、原子エネルギーへの移行が提案される。今後原子力発電所の立地は、他人事ではなくなる。地域が弱まっているのは、地方と呼ばれる全ての問題。地方格差。これは企業格差でもある。企業の東京集中。実労働の空洞化。いずれ、自分の暮らしの事にかかわってくると、考えて置かなければならない。

10年ほど前、ある中心市街地の活性化の集まりで、リーダーの人が、冒頭の挨拶で原子力発電の問題点を力説したのだ。この人はさすが一味違うと思った。一歩先を歩んでいた。10年経過して、いよいよ、他人事ではなくなった。誰にとっても自分の暮らしとなり始めている。暮らしを変えない限り、全て解決はしない。今の暮らしを維持しながら、何とかしようと言う、温暖化対策なら、必ず原子力発電に行き着くしかない。だから、自分の暮らしを変えることが先。人間は一度楽をすると、ほぼ戻れない。よほどの覚悟がない限り、生活の質の低下は耐えられない。しかし、そうする以外どうあがいても道はない。だから一番腹が立つのは、ノーベル賞受賞のアメリカの元副大統領ゴア氏だ。巨大で脆弱な自分の暮らしを維持したまま、温暖化対策の事例になっている。

年賀状の再生紙問題。偽装だった事が明るみに出た。その弁解会見で、再生紙は温暖化の観点から見れば、かえってエコじゃない。こういい切った。最近、気の聞いたつもりの、一ひねりした環境論が、横行する。「割り箸をどんどん使えば、日本の森林は再生する。」確かに割り箸が何だと、言いたくなる背景はある。しかし、自分の橋を持ち歩くことから、環境に目が向くと言う事が起こり、そうやって、一人ひとりの暮し方が変わる。と言う事が現実にある。気の利いたつもりの環境論者は、間違いなく環境的な暮らしをしていない。あれこれ言い訳の理論の方を探している内に、何をやっても同じという結論に至るのだ。環境は理屈だけでは変わらない。辛い方向に戻れという、過酷な選択を各人に迫っている。

六ヶ所村は核廃棄物再処理、つまり核燃料のごみを再利用しようと言う施設だ。これが工業レベルで可能な技術と考える事が馬鹿げている。人間の能力には限界がある。いい加減なものだ。いい加減で出来る事しか、この世には存在できない。完全なものは無理。原子力施設でのほう火が続いている。人間は愚かな者で何をしでかすかわらない者だ。人間がコントロール可能な技術には限界がある。原子力と言うものは、人間の日常的能力を超えている。我が家の地震対策といったところで、充分にはできない。原子力発電所だって、十分などと言う事は、在り得ない。もし事が起これば、全てが終わりになるような技術は、いくらありがたいと行っても、踏み込んではいけない領域だと思う。是非、鴨宮のマロニエでの2月23日【土】の上映会に一人でも多くの方に足を運んでもらいたいと思います。そして、自分の暮らしの事を考えてもらいたいと思います。

 - Peace Cafe