醤油の仕込み
2016/08/11
昨日は楽しみだった、醤油作りをスタートさせた。長年の夢だったので、嬉しくて仕方がない。こう言う事やらせてもらえるのも、同じ気持ちのある仲間がいればこそだ。11日に日を決めてという、急なことだったが、12人が集まった。今週末が味噌麹の仕込み。1月は発酵月だ。日本の伝統食には発酵がかかわるものが沢山ある。電気のない時代。冷蔵庫がないから、自給の食生活では、発酵をうまく利用するしか、日本のような温暖湿潤で物が腐敗しやすい気候では、食の保存が出来ない。その困難さが、かえって素晴しい発酵食文化を生み出し、又日本食と言う健康食を作り上げた。所が、便利なはずの冷蔵庫が、発酵を衰退させ、食生活自体を欧米食に変えた一因に成った。昨日も醤油は10リットルで、一年あるかと言う事になったら、これがそれぞれで、一年の醤油の消費量に平均がない感じだった。
味噌が、一人10キロで一年足りる家と5キロで足りる家がある。醤油は購入していて、全量を考えた事はなかったが、10リットルで我が家の1年の2人分と見ている。暮し方がまるで違うし、もう一般的な使用量と言うのは考えられないのかもしれない。汁物の取り方、うどんや蕎麦を作るかどうか。あるいは鍋物。煮物。使わない家では、もうまるで使わなくなっているのかもしれない。食育コンクールの賞品で戴いた、日本の伝統食を読んでみると、日本は醤油を使った暮らしだったことがわかる。味噌以上だろう。それで味噌より醤油の方が、ちょっと晴れのご馳走感が出ている。澄し汁と、味噌汁の違いのような、よそ行きの感じが醤油に伴うのではないか。何故だろう。こんな感じはソースが出てくると、ソースがよそ行きになって、マヨネーズになってと、よそ行きから変わって、いつの間にか暮らしが変わる。
伝統食の見直し、と言うようなものが、掛け声としてある間は、消え去ると言う事だろう。これが消え去ってもいいかというと、日本食がやはり、自給を考えると適合している。風土と言うのだろうか。小麦をうどんで食べるか、パンで食べるかどちらが、日本の風土に適合しているかと言えば、北海道以外ではパンは合理性がない。パン用小麦は作りにくい。作りにくいけど需要があれば、農薬を使っても作ることになる。先日からハルユタカと言う種類の北海道で作られる、春小麦の事を調べてみた。パン用小麦として評判のものだ。これを小田原で作った場合どうなるかを考えたのだ。やはり、北海道の試験場の方の意見でも、相当に困難な事らしい。何故春小麦ならと考えたかと言えば、スズメ対策だ。他に食べ物があるときに収穫するなら、余り狙われないのかと考えて見た。
パンには味噌も醤油も、相性が悪い。どうしてもパンは酪農製品に相性がいい。味噌醤油を使わない、パンでの地場・旬・自給は、あしがら地域では不可能だろう。バター臭い。という言葉が何となく褒め言葉に成っている。この感覚は外に気持ちを開いている日本人の長所だとは思う。話が随分それてしまった。
醤油の麹は一塊では温度がどうしても上がりすぎるので、現在2段に変えた。ある意味12時間目で、仕方がなく、一番手入れをしてしまったような状態だ。加温もしていない。それでもまだ32度と、36度という状態だ。風を送るって下げるというのもあるが、それでは湿度が下がりすぎる感じがするので、もう少し様子このまま様子を見て行く事とする。
昨日の自給作業:醤油の麹作りでの私の作業時間1時間 累計時間:10時間