銃ずさん管理
銃乱射のアメリカまがいの事件が起きた。模倣犯のように見える。更に続かないことを祈るばかりだ。何故、日本に何十万もの銃が野放しになっているのかが理解できない。日本で猟を職業にしている人など知れた数だろう。趣味だ。動物を遊びで殺して楽しむのが、趣味と言うのは随分の悪趣味だ。これがどういう訳か、お金持ちのステータスな趣味だと言う。山北では何しろ、前町長の弟さんは銃砲店をしていた。山北では、何しろ猟場と隣りあわせで住んだものだから、苦労したし恐かった。相手は銃を持っている。猟で興奮した相手とどのように対応したらいいのか。信濃町にある、日本猟友会にまで相談に出かけたこともあった。森繁久弥氏から、三橋達也氏に代表が移った頃の事だ。猟を趣味にしている俳優の演技など見たくないものだと、筋違いの腹まで立てた。もちろん警察にはそれこそ何度もお願いした。
今回の事件でもこの点が、重要だ。そんなことをあなたに言われる筋でない。と言うように交番で言われたらしい。丸で私のときと同じなのだ。警察が管理してきちっとやっていることに、いちいち住民が口を挟むとは、何様だと思っているのか。こういう反発心が警察にはある。前に書いたかもしれないが、一時停止の取締りを私の家のすぐそばで、しょっちゅうやっている。危ない所だから、ありがたいとも言えるのだが、道を直すか、信号をつけたほうがいい、所だ。その話は別だった。その取締りを、しばらく見ていると、どういう基準でやっているのかがわからない。そこで尋ねた。「取り締まりはどんな基準でやられているのですか。」興奮して出てきた警官が「そんなことを説明する義務はない。」怒られてしまった。猟銃所有者と、警察は仲間意識がある。今回の佐世保の事件でも、隣の家の住民がこの点で、警察の対応に対し怒りのコメントをされている。
この背景には猟友会と、警察との、不思議な関係が隠れている。銃を持つと言う事で、何か根底のところで性格が似ている。そこで、一般市民とは距離のある、特別な共有意識が存在する。そのために、銃所有について、市民が質問をすると、防御的に成る傾向がある。まして、防犯協会の活動や、害獣駆除の事で、協力関係が出来上がっていることがある。町会議員などが、その地域の猟友会の会長などになっていることも多い。そうでなくても、大抵は地域の有力者だ。銃砲所持や管理を取り締まると言うより、銃所持者を保護する意識がどこかにある。私も怒りに我を忘れることはある。そのときに銃があるのは恐いことだ。気分晴らしに発砲したくなるかもしれない。
銃管理をこの機会に、徹底する。警察に銃と弾はすべて預ける。必要なときに、出かけて行って、届けをして使う。当然の仕組みだ。町村氏は日本は世界1銃刀の管理が厳しい。と説明していたが、今の野放し状態が世界1の訳がない。今の状態を、管理が厳しいなとよくも言えるものだ。これは悪い心で銃を持つ人にしてみれば、何でもできる世界1の国に見えるだろう。例えば公道で、通行する人に対し、銃を撃てる状態でもっていてはならない。ことに成ってはいる。しかし、私の養鶏場の前ですら、銃を撃てる状態で抱えて歩いてゆく。害獣駆除と言う事になっている。害獣駆除であろうが、法の範囲でやらなければ、危険でならない。警察は、お願いしても全く取り締まることはない。この背景に、ある不思議な関係を、この機会に一掃すべきだ。