有機農業推進法シンポジューム

   

 10月6日(土)午後1時からマロニエで有機農業推進法のシンポジュームを行います。
こんばんのピースカフェでは、その打ち合わせを行います。有機農業と、ごみの問題は同じことだと考えている。養鶏をやってきたのは、まだ充分エサになるものがごみになってしまう。そんな危機感からだった。例えば、この地域では「さなご」と呼ばれる、くず米というものがある。お米の小さかったり、欠けたり、したものだ。充分食べれるものだけれど、商品としての価値を揚げる為に、等級を揚げる為に、厳しく選別をするので、5%とかくず米を出す。今年も一等級だという農家の誇りもある。昔は米粉にして、団子で食べた。このくず米が捨てられていた。もう農家でも、鶏を飼ったりしていないのだ。

そこで、くず米を集め始めた。たぶん今は10トン近くが集められて入るのではないだろうか。オカラもそうだ。これは年間で言えば、100トン近くが、集められている。米ぬかや、そば殻、こうしたごみとして燃やされていたものを、少しでもエサに出来れば、それには業として成立する形を考えよう。これが20年以上もやってきたことだ。その経過で、有機農業という当然の形が出てきた。これがJAS法という不完全なもので縛りがかかり、地域循環の歯止めをした。地域が回りださない有機農法なんておかしなものだ。地域全体が良くならなければ、自分だけがいいという訳には行かないと言う、仕組みこそ大切だ。食のシェルターに逃げ込むのは、都会の人だ。農地が、余っているのだから、そこで自給しよう。地域が回るような農業をしよう。こんな方向に農の会の農業は進んできた。

地域が上手く回りだせば、ごみになるものは殆どない。小田原のごみの半分は生ごみだ。これだけで、ごみが半分になる。堆肥の農地に循環させるかの仕組みの工夫だ。残りの半分、が紙ごみだ。これは、出す者が注意すれば、全てがリサイクルに回せる。その残りの半分が、プラスティク系だ。これは製造者責任で、販売者に返す。簡単な工夫で、ごみはいまの10%まで、確実に減量できる。問題は、暮し方にある。全てをポイポイ捨てるのが、今の風潮に適合している。これを平時に変えるのは容易ではない。精神論で解決できるような事ではない。やれば得をする仕組みを作らなければ、不可能だ。処理費用を税金に混ぜて、見えなくしないことだ。「生ごみを出さないと宣言した人。」「全部持ち込みで処理する人。」こうした人を優遇する。

ごみの話になってしまったが、それは有機農業が本来自給的農業と結びついていると言いたいのだ。自分の暮らしが、循環するには有機農業を行う事が一番だ。自分で堆肥を作り、野菜やお米を作る。それが本来なのだが、せめて地域で作られたものを食べる。どんなにいいものでも、遠くのものは出来る限り食べない。それは、地域の水を飲み、大地に暮し、空気を吸って生きている。この環境を少しでも良くしなければ、自分が、自分の子ども達が、苦しむことになる。有機農業は、自給的農業が基本だと考えている。それが出来ないにしても、地域の範囲で、決めて行く農業の事だと思う。見える関係の範囲で、全てが巡る。その巡りの中に自分も生かされている。こんな風になれば、していかなければ。

 - Peace Cafe