参議院選挙と農業の今後

   

参議院選挙が終わった。ひとまずホッとした。自民党が大敗した。安倍政権の憲法改定路線が、当面は頓挫した。もちろん今回の選挙が憲法判断にならなかったのは分かっている。とは言え、自民党が勝利すれば、間違いなく国民投票に向けて進んだ事だろう。選挙結果には様々な分析がされているが、農業の今後について、変化があるのかないのか。この点は、残念ながら余り明確な見解は見受けられない。「ばら撒きか、切捨てか」では、農家はばら播きを選んだ。当然の事だ。ばら撒いてもらうほうが、切り捨てられるより良いに決まっている。ばら撒きには展望がない。競争力のある農産物の生産を。こう言われても、それが空論であることなど、農家の人も、JAも充分に分かっている。中国へ日本の米が高く売れる。こんな事に、農林大臣は上海までかけて行って祝った。麻生外務大臣や安倍首相はその有利性を強調した。

誰もそんな馬鹿な事を信じなかったのが、今度の選挙結果だ。国際競争力のある農産物、資本家が農業に参入するとすれば、アジアのどこかに、農場を作るだろう。バングラディシュ辺りか。農業は労働力が、最も必要になる産業だ。工場でさえ、中国へ、アジアへ、と転出して、国内は空洞化している。何故、こんなに手間暇かかる農業だけ、日本という国土に縛られながら、国際競争力が求められるのか。確かに、かつての日本人の作る、芸術的な農産物は、特殊な国際競争力があるかもしれない。あくまで特殊解で、一般解ではない。1個10万円もする、夕張メロンが毎年、テレビに出る。だからと言って、みんながこれを作れといわれても、またいつもの馬鹿な農業政策だと思うだけだ。

食料は他の生産物と、そもそも成り立ちが違う。自動車とお米を同じく議論しろ、と言う事が無理なのだ。比較しろというなら、食料は軍事物資と同列に考えるべきだ。本来、食料は動かさないことが原則だ。狭い範囲で産業として成り立つことほど、健全だ。もし余るほど、食料が生産できるなら地域なら、そこに人が多く住めば良い。食糧生産に従って、人が住み分けることが本来の姿だ。食料を大量に移動して、しかもそれを、輸出の中心に据える事は、軍事産業を国の根幹にしていることと等しく、不健全な事だ。食料を自由貿易協定の一品目とすることがおかしい。これがアメリカの世界に対する政策で、日本がそれに便乗して、利益を分けてもらっている姿が、背景にある。その為に、食料は別だとは日本政府は言いたくても言えないのだろう。たいした経済でもない農民に犠牲になってもらうしかない。それが政府の本音だろう。

今回の、参議院選挙では農家に対する戸別補償をして欲しい。という声が圧倒した。これがばら撒きだとしても、何らかの対策をしない限り、成立しないのが日本の農業だ。自給率をせめて50%程度にはしたい。とするなら、認定農業者制度、集落営農制度、での規模拡大政策では不可能だ。これが農業者の本音として出てきた、選挙結果だ。農業者は倒産が出来ない。先祖伝来の土地から離れられない、条件下で暮している。出稼ぎに行くにしても、工場や役場に勤めようとも。家を守ろうという思いで、今までは何とか生き抜いてきた。地域の中核となる農家の方は、地域までも、自分の責任として支えてきた。それが、自民党の主張する方法では、無理だという悲鳴が上がった。農家が、自民党に投票しないという事は、革命的選択だ。今ならまだ、日本の農業には、可能性がある。その思いが、民主党の戸別補償制度に傾いた。さぁー、政治家はどうしてくれる。

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