「水彩人」の今後

   

水彩人は10回展までは、何があってもやろうと、7人で始めた。一人脱落したが、6人継続している。仲間が増え、同人15名になっている。10月5日から14日東京都美術館に於いて、9回展が開かれることになる。事務局担当として、いよいよ10回展以降のことを詰めなければ成らない。明日そのことを相談する集まりがある。10回展以降の展望が決まらない中で、新しい同人の募集ができないという現実がある。水彩人に対する気持ち、考え方は、それは様々で、15人違う。15人がいわゆる絵描きタイプである訳で、個性も強い。そこで話し合いをまとめる事は困難を極める。今回は、事前に意見を戴いた。戴いたからと言って、それでどうこうではないが、話がまとまりやすいのではないかと思っての事だ。正直手に余る、会議になるだろう。

水彩画というものは、最近2回目の流行状態にある。古くは明治時代は帝展とか呼ばれた展覧会には、水彩画が油絵と同じぐらい出品される時代があったようだ。その後は油絵全盛になり、小学生が使うのが、水彩絵の具で、中学校位になると気の効いた所では油彩画に取り組む、と言うような空気が一般に成った。美術教育も今はだいぶ変わったようだが、油絵科などという名称が、あったりした。いまの流行は中高年の趣味と言ったらば、いけないのか。ともかく、カルチャーセンターなどに集まる人達には、水彩画はそこそこ人気があるようだ。当然、その中からはすごい絵が出てくる。専門家と言っても、公募団体の会員程度では、別段カルチャーでやっている人と基本的には意識が変わらない。絵も少々手馴れているだけで、その質はむしろ劣ることも間々ある。絵と言うのは、技術部分は小さい。結局は人間だから、どこからでもすごいものは登場する可能性がある。

水彩人は、そうした姿勢でやってきた。どこぞの会の会員であるからと言って、お断りすることもあるし、何の経歴がなくても、仲間として受け入れてきた。それを当然の事と考えてきた。そして、同人であるからと言って、よくないものはよくないと、明確に言い合える環境を作ろうとしてきた。この辺りがいつも難しい。駄目だとみんなが指摘したからと言って、良くならないと言う場合もある。言われるのが否だから、言うのが否だから、と言う事で躊躇する人もいる。お互いの絵に対して自由に言い合える環境は作り出さなくてはならないが。しかし、それが傷付け合うような場では困る。この加減が難しい。いつも色々の意見は出る。何かを変えてみるのもいい。

水彩人が水彩画の停滞した世界を変えてきた自負はある。水彩画が、日本画や油彩画より、劣る物であると言う、画商の観点は少し動かしてきたのではないか。それは日本の画商が、基本的には古物商的な意識だから、おかしかっただけで、本来絵画というものに素材の違いなど存在しない。水彩画の魅力は本質に直裁に迫るところにある。持って回った言い方でなく、結論だけ述べるようなところが、いいと思う。科学者が何か思いついた、閃いた事を、ちょっとメモしたようなところがいい。そのメモには説明はない。だから、メモした人以外には理解不能かもしれない。ところがその何かほとばしる物が見えたりすると、実におもしろい。作者にはそのひらめきから、無限の広がりが見えたりする。だから、説明は得意だが、閃かない人には、ちょっと難しい方法なのではないか。

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