中国の犬と猫

   

中国鎮江市ではついに猫を見かけなかった。皆さんにお聞きしたところ、一人の方が一度見ただけだった。犬のほうは何と、百数十匹は見た。ペットとしての犬を鎖をつけて、散歩している人にも3人会った。シーズーのようなのも居た。繋がれていないほうは中型の雑種だ。オリンピックを控えた北京では野良犬の一掃のキャンペンが進んでいるようだ。狂犬病の問題もあるから、様子の分からない、外国の人が、野良犬と遭遇することは確かに、まずいことになるだろう。鎮江市では、そうしたことは行われていなかった。幾らでも犬は居た。人に対して、良く慣れているが、触らせるような事もない。近くに寄って来て、においを嗅ぐぐらいはする。放し飼いなのだと思う。群れていない。一定の距離で、時々見ると言う状態だ。犬のほうも中々の面構えで、いい雰囲気を出している。人に心を許しているような、日本の甘えた犬でもない。狂犬病の事もあり、観察は良くしたが問題あるような犬は見かけなかった。吼えた犬はこれまた一度もなかった。

猫は見なかった。あれだけ居ないのだから、禁止されているのかと思ったが、そう言う事ではないのだから、犬があまりに多く、朝出歩けなかったのだろう。中国では猫も、犬も食べる。市場でも売られていると聞いていたが、それは捜したが見なかった。私は養鶏をやっていて、鶏肉も食べる。可愛がっているのに捌いて食べる。中国での食肉のあり方を批判できる立場でもないし、文化として受け入れるしかない。日本でも、1950年代東京でも野良犬の集団に人がかまれて死んだりした。狂犬病の流行もあった。60年代までは、放し飼いが普通に行われていた。一定の距離のある、いい感じだった。犬と人の付き合いはそんなものだ。それが文明化して、今のペットの囲い込まれた状態になったなどと思わない。

放牧されている養鶏場で、養鶏場の入り口が何と解放されている。これでは鶏も犬も出入り自由だ。まさにそうなのだ。私が中に入ろうとすると、中型の黄色い犬が養鶏場の中から出てきて、胡散臭そうに人の顔を見ながら、どこかへ去っていった。「鶏は大丈夫なのですか。」ビックリして聞いたが、仲がいいですよ。と当然の様子だった。そういえば庭先養鶏時代の日本もそうだった。飼い犬が、鶏を襲うようなことはなかった。いい距離を保って、犬が外敵を追い払ってくれているのだろう。鷹を防ぐ方法でもあるだろう。鶏がどこかへ行ってしまわないで、放し飼いのところに又戻ってゆく。その辺りには、野菜畑がなく、果樹ばかりだったから、このやり方が出来るのだろう。

犬は放し飼いがいい。本来だ。猫もそうだ。それが出来ないような、暮らしの方がいけない。今の暮らしの中で、放し飼いをすることは確かに出来ない。すべきでもない。しかし、今の暮らしのあり方が、間違っていることは忘れたくない。飼い犬を食べる事は出来ない。食べる事ができなくなったと言う事は、本来の人間から離れていっていると言う事も忘れたくない。だから犬を食べて、欲しくはないが、食べる文化を批判することも、私には出来ない。菜食主義を実践する人なら、批判出来るかといえば、それも違う。人間が生きると言う事は、そう言う事だ。シュバイツアーは病原菌を殺す仕事に悩んだそうだ。とは言え、さすがの中国もあと10年もすれば、欧米に併せる様になるだろう。グローバリズムという、おかしな尺度に押し切られるだろう。

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