岩堀鮮魚店

   

昨夜は、小宮農園で岩堀さんから引き売りの話を、お聞きした。大変貴重な、おもしろい話がざくざくと出てきた。岩堀鮮魚点は1929年小田原市前川に開業した。一号線沿いのモダンな建物の魚屋さんですぐ分かる。開口、おじいさんが80年前、始めた引き売りは、今最先端の仕事だ。と言われる。近所のお年寄りからも、久野にも引き売りが6軒あったと聞いた。その6軒は農家で、自分の所で作った野菜をリヤカーに載せて、売って歩いたのだそうだ。十分それだけで暮らしていたのだそうだから、何かやり方を工夫すれば、今の時代こそ出来そうな販売法なのかもしれない。今は一軒も残っていない。でもちょっと違う形で、雑貨まで載せた車を見ることがあるから、私の住む集落にも何らかの形で、引き売りは来ているのだと思う。その車が、どうも和留沢と言う奥の集落のほうに行くのを見たことがあるので、奥の16軒の集落にとっては、貴重なストアーなのかもしれない。

岩堀さんによると、小田原でも鮮魚の引き売りは10軒ではきかないだろう。と言う事だ。警察による許可事業らしいので、今度制度を含め、聞きに行って見たいと思っている。岩堀さんの引き売りの原型はおじいさんが店を始めると同時に、出来たものだ、むしろ引き売りを中心に続けられてきた。3ぶんの2は引き売りでの販売だそうだ。実際の引き売りは11時の出発して、5時30分ごろ戻るそうだ。11時までに鮮魚を販売のしやすい形に準備することが、早朝からの仕事。その前に当然、魚市場に仕入れに行く。更に、2時ごろから魚市場で手伝いをするのだそうだ。この50年は続けてきた。「手伝い」によって培われた関係で、仕入れがスムースに行くらしい。これは岩堀さんのお父さんが、岩堀さんが困るほどの働き者で、作り上げてきた形らしい。

岩堀さんの場合は、奥さんと2人で改造軽トラ2台を連ねて、出かける。軽トラは2年で買い換えるそうだ。エンジンが3年するとガタがくる。魚は氷と一緒で重い。おおよそは田島、下曽我方面だそうだ。月・金コースと火・木・土コースがある。全体で130件ほどのお客さんが居る。50年の付き合いの方も居る。商品には値段は書かれていない。これは驚く。お客サンさんが、あれとこれとあれ、と言う具合に選んで、それを足し算して、ハイ幾ら。と言う具合だそうだ。そこには、すごい信頼関係が作られている。岩堀さんは子供の頃から、そうした環境で育った人だから、人との関係の呼吸が分かっているのだろう。ちゃんと人と向かい合える関係性が、引き売りの良さだと言われる。夫婦で行くのがいい。岩堀さん夫妻は実に見栄えのするご夫婦なので、特にそうだろう。

農の会の宅配と、実のところ似ていると言うのが、見えてきた。130件のお客さんとの向かい合い方。これを何より大切にしている。例えば時間は絶対にずらさない。その為にフリーのお客さんがたまたま居たとしても、途中で閉めて先に進む事さえあるそうだ。暴風雨で休んだら、病気デモしたかと電話を掛けてくる。課題は世代交代。長いつきあいと言う事は、老齢化。お年寄りは、引き売りを喜ばれる。お嫁さんが入ったときにどんな関係が新たに作れるか。広げるつもりはないので、新しいお客さんは特に募集したりしていないそうだ。今の関係を大切にして行けば、その継続を地道にしていれば時代の方が変わってくる。と言われていた。

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