中国江蘇省鎮江市

   

中国に行くことにした。中国江蘇省鎮江市というところだ。飛行機も嫌いだし。家の毎日の事に追われている。全てをカヨ子さんがやらなければならない。それは無理なほどの仕事だ。又、それは他の人に頼めるような事でもない。困った。普通の事なら決意できなかった。私の父は7年間中国に軍人としていた。中国語も普通に話せたそうだ。軍人としては珍しく。中国人に接していたのだと思う。それは民俗学の学徒としての生き方だったようだ。中国人の人間としての本当のところを誰よりも詳しいといつも言っていた。それは柳田先生に学んだ姿勢で、中国の事を知ろうとしたからだ。と言っていた。もちろん軍人としての日々の、細かな日常は分からないが。精一杯柳田先生の弟子である誇りを持って生きようとしたようだ。敗戦の後、関係した中国の人にこの後、猛烈なインフレが起こるから、全ての金銭を、物に変える様に伝えて分かれた、と言っていた。会いに行きたい、友人や先生がいる。と話していた。不思議な兵隊だったと思う。

日本の過去行った無残な事を考えると、私が出来る事が、頼まれるような事がいくらかでもあるなら、断る事はできないと思った。しかも、今回の依頼は、中国の農家の人に直接自然養鶏を伝えて欲しいと言う依頼だった。中国の現状に対する認識は、報道の一般の範囲にとどまる。特に農業の実情に関して、殆どしらない。以前、中国に行った時は、趣味で鶏を飼う事は禁じられていた。鶏を見たかったのだが、全く出来なかった。北京動物園に、尾長鶏がいたのを子供の頃見た、等と中国の人から言われた。今は、そのいなくなっていたはずの趣味の中国鶏が、かなりの数出てきている。金魚の切手まで批判の対象になった。にもかかわらず、今は何千種と言う金魚が消えていなかった事がわかっている。中国の人の暮らし、と情報の乖離。ある中国人画家に筆の事を尋ねた。中国にはいい筆があるはずだ。いい紙があるはずだと考えて捜したのだ。ところが何と私は銀座の鳩居堂の筆だ。と言われ見せられた。しかし、実際には筆は中国にすごいものがあった。

鶏の事はどこへ言っても同じだと思っている。いい卵とは何か。食べ物はどうあるべきか。そんなことはどこでも同じ事だ。私が伝えることは、毎日やっている普通の事を普通に伝えることだけだろう。特別の事をやっているわけでもないし。誰でも出来る事だ。このことが中国の経済の中でどうなるのかと言う事は、考えれば怖い事だが、それもまた基本は同じだと思っている。人間が日々生きる。ものを食べる。それはどこへ行っても、「地場・旬・自給」が大原則だ。その私なりのやり方を伝えたいと思う。人は、100坪の土地があれば生きることが出来る。そんなことは中国では当たり前かもしれないが、気候的に違うのかもしれない。しかし、伝えられる事はアレンジしないほうがいい。そうした自給的な暮らしに鶏が合理的なこと。

鎮江市との間では、日中の農業共同計画が進んできたようだ。私の役割は実践的技術を伝えるという段階のようだ。どうも、計画では自然養鶏が実践できるように、度々行くことになる。しかし、それは現実として無理な事なので、一回で全てが伝わるように、して来たいと思う。

 - 自然養鶏