地域コミュニティーの再生
農水省は農村住民の互助活動再生を目指すそうだ。「美しいふるさとづくり」事業(仮称)として、農村に古くからあった「寄り合い」の復活や地域ビジネスへの支援をモデル的に展開する。農村の伝統的な共同体機能は、生産活動や農村生活の基盤となってきたが、担い手だった50-60代の生産者が引退期を迎え、次世代への継承が危ぶまれている。農水省はこうした共同体の維持には「地域の若者や女性のほか、都市住民も参加しやすい、新しい形のコミュニティーを作る必要がある」と判断。欧米で注目されている、住民らの協調した行動が社会の効率性を高めるとする、共同体の考え方「ソーシャル・キャピタル」(社会関係資本)を取り入れて活性化するという。農水省には確かに、期待できる動きがある。たぶん農水省の中でも、農村は効率化し、企業が、大資本が参入するしかない。こういう荒っぽい考えと、地域を暮らしの場所として、再生してゆく考えとが、せめぎあっているのだと思う。
新規就農者には地域コミュニティーにどのように受け入れてもらえるかが、今までの課題だったが。地域の構成要員として、むしろ積極的な担い手としての期待が、加わって来ている事を感ずる。現代農業の5月の増刊号の特集「農的共生社会」を読むと、すでに起きている新しい流れが見えてくる。自治と自給で「格差」を超える。と副題がある。その通りで、格差の基になる経済優先主義に変わる、新たな価値観の創出がテーマだ。生きると言う事にじかに触れる場面では、格差は存在してはいけないものだ。ところが、農村を企業化しろ。大資本の支配下に置け。こういう政府主流の動きは強い。これを押し返すように、農水省の中にも本質を観ている人達はいてくれる。ここに期待し、小さな動きかもしれないが、後押ししよう。
自治会と言うものがある。加盟率全国1と小田原では言われている。この自治会と言うものが、名前とは裏腹に、全く自治の精神を失い、行政の出先機関のようになっている。上からの指示に従い動くだけになっている。その結果、自治を行う仕組み自体が存在しない。街灯をつける位置を決める。どのような相談を行い、決めるのか仕組みも集まりもない。自治会長が副自治会長と相談して決める。全てが上から、下への方向だけがある。自治会総連合と言うものがある。その理事会が、勝手に市に対して、陳情書を出している。誰に諮ることもない。当然、陳情書を出せるような仕組みが出来ていないのだから、自治会総連合の意思は、どこの誰が決めたのか。たぶん代表のみの考えで、陳情書が出せる。自治会構成員の意思はどこにも反映していない。しかし、市議会ではこの陳情に基づき市民の総意として答弁がされている。自治を自ら捨てた姿だ。
農業が国の構成の基本にあることを、参議院選挙での地方票が欲しい安倍総理は、繰り返し発言だけはしている。民主党の小澤代表は食料は100%自給とまで言う。誰もが、建前としては、農業を大切にしてくれる。しかし、現実には農業をやる人は、団塊世代が抜けた後は、暗澹たるものがある。地域の共同体機能はその生産基盤、経済的基盤があって形成されてきた。経済とは別にどのように共同体を機能させるのか。暮らし向きと言えばもともと経済の事だ。日本人の価値観が、経済的価値に傾斜し切っている中で、地域社会を別の価値観で再生できるのか。あしがら農の会の挑戦はたぶんここにあるのだと思う。