水彩人研究会
残雪の残る、志賀高原木戸池で3日間絵を描いてきた。水彩人の研究会だ。水彩人という絵の会は、研究会を行う事が、会則で決まっている。それは設立した時の思いが込められている。もう一つ会則で決めたことが、展覧会を行い、その絵について、批評会を行うことだ。絵を描いてゆくことを、どのようにして深めてゆくか。もし、一人で発表、研究するだけでなく、仲間で研究してゆくとするなら、どんなやり方がいいか。理想を求めて、「水彩人」を作った。10回はやろうと言う事で、続けてきたが。厳しいが故に、設立のメンバーでも辞めた人が出ている。設立時が7名。現在が、15名が同人である。その研究会参加者を中心に運営している、組織にちょっと分かりにくい「しるべ」と言うものがある。この範囲が今回整理したら、91名だった。だから、水彩人関係者は112名となる。
「しるべ」の事を少し書いみる。しるべが実際に動き出したのは、4年前になる。それまで、水彩人は立ち上げてすぐから、研究会を行い、参加者を一般に広く呼びかけた。そのときは20名くらいの人が参加したと思う。記憶では、小諸の方で、水彩人小品展も行いながら、やったと思うが、それは2回目だったか。何しろ、やれることは何でもやろうと言う事で、大原町の水彩画美術館で展覧会をしながら、講習会をやると言うのもあった。そんな風に、年に1,2回研究会を行い、よびかけているうちに、40名くらいの常連的に参加する人が出てきた。そこで、その参加者が更に成長してもらうには、制作した作品を発表することが必要ではないかとなった。その展覧会の4回展も、9月10日から、銀座東和ギャラリーで水彩人との、合同展として開かれる。
木戸池温泉ホテルでの研究会は15年ほど前に水彩連盟展で、行ったのが初めてだった。50名も集まる研究会を、充実して行えるような、施設はめったにない。それで、度々使わせてもらうようになった。田の原湿原、と言うところがあって、そこは、佐久間象山が田んぼを可能か実験をした。と言う嘘の様ないわれがある。幕末の人だから、間違いはないだろう。1610メートルと言うのは、もし耕作ができれば、日本最高地点となるだろう。前は野菜畑もあった。そんなところが魅力的なのだ。ここにホテルが出来たのが、昭和8年とある。ホテルの片隅に不思議な銅像があるのだが、たぶん作った人だろう。中々な風体をしている。
水彩人研究会は私にとっても、重要な機会だ。この3日間は寝ないで絵を描くぐらいの覚悟で、全身で絵を描く。絵以外の事は考えない。絵を書く目になってすごす。ありがたい3日間だ。こんな時間を持てる事は、たぶんほかでは得られないことだろう。5月の木戸池は生命が生まれてくる、胎動のような、自然が目覚め始める姿が、鮮烈だ。山の中腹から、突然のようにこんこんと水が流れ出て、川を作る。雪解けの水が、いたるところから湧き出てくる。芽吹きだした木々は、まだ寒さにピンク色芽を、小さく様子を見ている。残雪の間からみずばしょうの鮮やかな、黄緑。いのちの姿が血を吹く様に、全貌をさらけ出す。自分がいのちとして、その自然とわずかにでも対峙できるのか。ともかく、それだけになろうとして絵を描く。何を描くのか、どんな物になったのか。そうしたことも良くわからないが、ともかく、今年の研究会も終わった。