城下町ホールの説明会
昨夜、市民ホールの説明会があった。小田原の市民会館ホールが、相当に古いもので、建替えることになった。その為に長い時間をかけて、基本構想というものが作られた。それにも基づき、設計コンペが行われた。その中から、山本理顕設計工場が選ばれた。何故選ばれたかは全く解らない。あまりに基本構想と乖離しているからだ。ところが、市の説明では山本氏の設計は、基本構想にしたがい、市民の意見を取り入れ作らた、としている。さすがに無理なこじ付けだ。基本構想で言っている2点。「シュウボックス、今回初めて知りましたが、靴箱のような四角い箱で作れ。」こう明確に言っているのに、奇妙奇天烈な、タコのような形になってしまった。これで基本構想どおりとは、驚くべき詭弁。2番目は「市民が運営に参加するホールにする。」ところが、この設計の進め方は全くの市民無視。設計段階で、市民を排除しながら、なぜ、運営に参加できるのだろう。
山本氏は前段で長々とこのホールのすばらしさを酔った様に説明した。ところが、肝心の、何故、この不思議な形が小田原にふさわしいかは、一言も触れなかった。この不思議な形でも、機能は四角と同じに出来る。こう強弁を繰替えした。それはお金を幾らでも使えばできるかもしれない。しかし、すでに財政的に苦しい小田原市に、そんな無駄が金を使う余裕はない。だから、聞きたいのはなぜ、この奇妙な形が、小田原市民にとって、小田原らしさを確認できるようなホールであり、世界に誇れる文化施設であるかだ。確かに、設計家山本理顕氏はその設計思想を世界に誇れるだろう。しかし、そんな個人的な趣味は公共事業では止めて欲しい。民間のホールでやればいい。個人の趣味でなく、小田原の文化に基づいていると、考えているなら聞かせて欲しかった。
市民が運営する開かれたホール。これを設計の3つの指針のひとつにした。こう言われた。それが本音ならば、何故設計に市民の意見を取り入れる。仕組みを加えなかったか。各文化団体から、考え方を先ず聴取する。そして基本構想を作った委員の人達と話し合いを持つ。全くやらない。しかも、市民から寄せられた意見は、充分伺いましたと言いながら、何も取り入れない。狭い敷地に、この奇妙な形ゆえの無駄が多く合理的な設計が出来なくなっているのだ。サブホールは小田原名産かまぼこ型だ。これかな。このサブホールは市民が参加には一番利用頻度が高くなるものだ。ところが、椅子はかなり遠くの狭い倉庫からの運び出し。しかも、硬たそうな、重そうな不思議な木の椅子の写真。これでは、お年寄りのグループには利用不可能。
何とこのサブホールは絵の展示もするという。何でも出来るは、何にも出来ない。変形の為、壁には絵は掛けられない。真ん中に衝立を立てて、飾ると言う。今時こんな展示会場を考えるなど、素人もいいところだ。そういう飾り方を止めようと言うのが、絵画の世界では当たり前の事になっている。絵は広い壁にゆったりと掛けたい。その肝心の壁が曲面なのだ。これではどうにもならない。装飾としてロビーに絵を飾るのではない。作品として、絵の精神を伝えようとするのだ。器は語って欲しくない。器が多弁では、適合する作品が限定されてしまうのだ。何故こんな、不思議な成り行きになったのか。新しいホールを作ろうと言う市民の夢が。こんな形で、設計家の驕りにもてあそばれていいのか。