アレルギー疾患
スギ花粉がさかんに飛んでいる。最近花粉症で困っている人に時々あう。幸い花粉症は今のところ、でてい無い。このアレルギー疾患で、おもしろい事を知った。「疫学調査で、感染やBCGで結核菌への抗体ができたツ反陽性の人は、抗体ができていないツ反陰性の人に比べ、ぜんそくの発生率が約4分の1と低いことなどが知られていた。」つまり、結核の抗体がある人は、アレルギーにかかりにくい。病気が病気を制していると言う事だろう。ワクチンはともかく、病気も無駄じゃないということを示している。これは結核だけではもちろん無い。あらゆる病気に人がかかると言う事は、自然の成り行きであり、必要な事だ。アレルギーに回虫が有効と言う事が言われている。行過ぎた衛生観念が人間を不安定な物にしている。鳥インフルエンザウイルスが強毒化する原因が、生き物が、何万羽一箇所に暮すと言う自然界ではありえない、過密の中で生み出されているらしい。
人も同じじゃないだろうか。自然のバランスからいって、これほどの過密の中で生きることが、人間の自然じゃない。自然じゃないことには自然は必ず、自然に戻そうとする作用が働く。ペストがヨーロッパで流行したのは大都市というものが、初めて出来たからだ。そこで、都市で暮らす事を止めるほうを人間は選択しなかった。そこで、半自然の衛生的な手段が生まれる事になる。人間がここまでひ弱になったのは自然淘汰が上手く作用してこなかったからだ。笹鶏養鶏法で鶏の強健さを作るためには、自然淘汰を技術の中にとりいれて入る。人間はもちろんそうは行かない。だから、自然との折り合いのつけ方を、工夫せざる得ないのだろう。
自然を感じて、我ものにすること。自然ならどう動くだろう。常にここに照らし合わせるようにしている。田んぼの耕作法は、それを学ぶには実にいい素材だ。江戸時代にすでに、あらゆる農法が出尽くしている。しかし、更なる研究が続いている。そして、化学肥料、科学農薬の登場。遺伝子組み換え作物。あらゆる先端技術が駆使され、しかも古くからの伝統技術も同じ土俵で、比較研究されることになる。すでに化学肥料が、永続性の無いことは見えてきている。土壌に対して、略奪的な農業として、土壌を疲弊させるというのだ。上手く自然と折り合えない化学肥料。化学肥料の工夫も永続性をどうしたら、可能になるか。残留する塩類除去を模索する。科学農薬も同じだ、殺虫剤で生き物を全て死滅させるという技術の不自然さ。そもそも、一箇所に単一作物が、優勢に作られるという不自然さをどのように、自然界で折り合いをつけるか。生物の多様性を保全しながら、自然との折り合いをつける農薬の開発。澱粉や蜜蝋や重曹が農薬として利用。
稲作は自然の仕組みを感じ、自然の体系との折り合いを学ぶ絶好の教材だと思う。水の循環という側面から観察する。生き物の多様性という側面。あるいは環境調整をする田んぼ機能。そして、人間の暮らしの基本としての、食糧の自給。自然の中に溶け込むような、生産の在り様。大井町山田の田んぼは3000年は連作されてきただろう。そうして、試されてきた永続性は他の農法には、無い優れた可能性だと思う。日本人にとって、お米が主食であったことは幸いだった。