山村の消滅

      2016/08/08

山あいなどの過疎地域は人口減少や高齢化が進み、今後、全国の2641集落で人が住まない消滅状態となる恐れがあることが19日、市町村を対象に国土交通省が実施したアンケート(昨年4月時点)で分かった。このうち422集落は10年以内に消滅する可能性があるという。1999年実施の前回調査以降、消滅した集落は191。
山間地で集落が消えてゆく。日本人の暮らしが変わってゆく。山間地の暮らしが好きな者として、実に残念な事だ。私の生まれた村は、今は笛吹市になった、山梨県の山間部藤垈という部落だ。その部落の中の一番上の外れにあって、隣の家まで、300メートルぐらいある場所の山寺だ。その寺から先が山。空は、広がっている物でなく、三角形の物だと本当に思っていた、という位だ。そこでの暮らしの楽しさは、自然そのものだ。自然との付き合い方が、全てに楽しかった。どの家も当然の自給自足で、大抵の作物を作っていた。鶏も飼っていて、その世話をしていた事が今につながっていると思う。

よく山間部に行くと、平家の落人部落だとか、何とか天皇の何がしを貰っている書面があるとか言って、誇りが高い。実は私の祖父がその寺に縁があって入った。当然よそ者で、今の私とそう変わらない心境だったのだと感じる事がある。その誇り高い人達の間で、僧侶として暮してゆくと言う事は、中々大変だったと思うが、檀家から、経済的に自立する事を考えたのだと思う。5人いた子供が、夫々大学に行き、全員が教師を一度はした。私の母は長女で、戦後すぐのころ富士吉田で、教員をしていたらしい。山村での暮らしが出来たのは、自給自足をして、驚くほどつつましく暮していたからだ。たまに空き缶があれば用途が必ずあった。汚れた紙であっても、絶対に捨てなかった。ゴミなど全くなかった。燃料も自給。電球一つを持ち歩いて、必要なところにつけて明るくした。誰もその暮らしを十二分のものと思っていたし、豊かだと思っていた。

久野で里地里山づくりが動き出している。こうして山村が消滅してゆく中、久野がどんな形で残ってゆくことになるのか、想像する。どんな形の農業が生き残れるのか。どの位の人が住むことが適切なのか。ここでの経済活動だけで生きてゆける人は限られている。家族のうち誰かが、勤めに出て、誰かが田畑を守る。どんな作目が作られて、山は、どんな風に守られるのか。一体地域の人達だけで可能なのか。行政がこの段階で、何故、里地里山づくりを提案したのか。提案しておいて、腰が引けているのは何故なのか。市と県の担当者に、どんな形で久野の里地里山を守ろうと言うのか、具体的なストーリーを文章化して見せて欲しい。こうした事をお願いして、もう何週間もたつが、返事がない。行政は展望を持たないまま、漠然と、里地里山づくりを言い出したとしか思えないのだ。

山村が消えてゆく。そこには日本人の原点とも言える暮らしがあった。その意味と価値もしっかりとは確認されないまま、消えてゆこうとしている。それを何らかの方法で、大切にする。そこまではいいにしても、その後は地域の人の、あるいは都市住民のボランティアだとか、善意だとか、そんな物だけで維持しようとすれば、地域の人に負担がかかるだけだ。地域経済のなかで、つまり、税金など使わないで、里地里山が経済的に成立する為には、法的な対応が必要なのだ。地域経済に対するワク組みの改変。これがない限り、方向は見出せない。そのストーリーを書き出すことがない限り、地域の負担だけが残る事になる。

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