地球博物館「水辺の再生を考える」

   

18日地球博物館で酒匂川の環境を考えるシンポジュームがあった。6回目の開催で『水辺の再生を考える』と言うテーマだった。専門の学者が、4名も内容の濃い話をしてくれた。先ず、大場信義氏蛍の研究をされてきた第一人者だそうだ。三浦の方で活動をされている。そして、トンボの事でいつも名前を伺う、苅部治紀氏。内水面研究所の勝呂尚之氏。そして、地球博物館の勝山輝男氏。自分には全く分からない事でも、専門の学問をされている方の話は好きだ。必ずおもしろい。観点が素人とはやはり違う。学問の偉さと言うものは、格別な物だと思う。素人でも、専門家的に詳しい人はいるが、やはり視野というか、奥行きの広さというか。話を聞いておもしろいと言う点では、専門の学者が一番だ。

大場氏は世界の蛍の生態から、自然の成り立ちのすごさ。絶妙さ語られた。蛍の点滅の微妙さ。周波数をたちどころに換えるメカニズム。その仕組みは今の科学でも解明できていないとの事。日本の西と東で源氏ボタルの周波が西はせっかちで、東はのんびり、背中の十文字ガラも、ないものから、明瞭な物まで、多様との事。東南アジアの蛍の木の話はなんとも幻想的。一本の木何故か数億の蛍が群がり、光り続ける。1匹の命は1週間。それが営々と継続されて、今に到るすごさ。しかし、開発でその一本が切られることで、全てが終わらざる得ない。だから守るべき1本の木、自然の核心がある。人間の暮らしと、自然との折り合いのつけ方。これもまた、自然の営みを調べてゆくと、自ずとそのバランスは見えて来る。決して悲観的に成ることなく、開発と、環境保全は対立だけでないと。実際に三浦半島での自然の環境の保全活動が、どのように展開されているか。大いに参考になるところだった。

苅部さんはご縁があり以前から、お話は聞いてきた。我々にとってはサナエトンボの事で、大変重要な活動をされてきた。苅部さん自身が酒匂川で高校生のとき確認したのが、最後だと話された。すると苅部さんは地元の人だったのか。昆虫好きの高校生が、研究者の道に進む。憧れる生き方をされてきたようだ。思えば、鶏好き少年だった点では、そう人には負けなかったと思うが、何がいけなかったか、紆余曲折できた。一番は、外国語が嫌いだった点にある。学問をやるには、2ヶ国語の関門がある。これだけで私には無理だと言う事が分かった。植物の新種の登録をする時に、ラテン語でないといけない。と聞いたことがある。そうしておかないと、素人の植物好きがやたら新種の確認を提出して困る。

勝呂氏は小田原メダカの恩人だ。隋分ご苦労をかけてきた。色々の場面でお世話になることが多いいのだけれど、行政と保護団体との折り合いのつけ方にいつも立っていて、苦労が多いいと思う。地球博物館の勝山氏は県が行った丹沢の自然環境調査の話をされた。まさに丹沢の開発と、自然保護の、折り合いのつけ方を提示した。基礎データーを採ると言う事は、何かを考える上で一番大切なことだろう。久野でも、学者に科学的な調査をしてもらう。これが、先ず最初に行う事のはずだ。素人の地元の人間や行政職員が歩き回っても、肝心の久野の里地里山の骨格が見えてこない。先ず環境実態の基本調査を、専門の学者に依頼する。その上で、動き出さないといけない。どうしても守らなければ成らないもの、妥協してもいいもの、湧き水の分布、植生の実態。耕作地の実態。人家の分布。人口の推移。業態の変化。文化的な歴史。始める前にやることはいくらでもある。

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