NHK東京高等裁判所敗訴

   

NHKが東京高裁判決で敗訴した。従軍慰安婦問題の報道で、安倍慎三氏と中川昭一氏が事前に内容を知り、局長二人を呼びつけ、放送中止を申し入れたと言う。そこで局長が編集者に何度も注意を与え、当たり障りのない放送内容に変えたというのだ。公共放送と自ら名乗る報道機関が、政府からの指摘で放送内容を変更したとしたら、これは社会を崩壊しかねない、相当に怖い事だ。内閣テレビとでも明確にした方がいい。政府の意向を忖度(そんたく)した、というのが判決の主旨だ。テレビは殆ど見ない、NHKもみない。報道姿勢にも、その自ら名乗る公共たる仕組みにも不信がある。そこで、3年前から受信料は払わない事にした。他の有料テレビ局のように、払った人だけに見えるように変更してもらいたい。

こうした時の総理大臣が関わる裁判で有罪になるのは、明瞭な証拠のある、よほどのことだけだ。この実態は中川昭一氏および、安倍慎三氏が放送前に番組を見て、NHKに放送の中止を申し入れたかどうかが1つの焦点だ。放送内容の大きな変更はあったのだから、誰かが見て、変更を要請したと言う事は分かっていた。NHKでは国会議員200人以上に、内容の説明を行っていると説明している。判決では「番組が予算編成などに影響を与えることがないようにしたいとの思惑から、説明のために松尾総局長や野島局長が国会議員などとの接触を図った。その際、相手方から番組作りは公正・中立であるようにとの発言がなされたというもので、時期や発言内容に照らすと松尾総局長らが相手方の発言を必要以上に重く受けとめ、その意図を忖度(そんたく)してできるだけ当たり障りのないような番組にすることを考えて試写に臨み、直接指示、修正を繰り返して改編が行われた」ものと認められる。とある。

民放であれば、スポンサーへの忖度と言う事があるだろう。視聴者との関係において、一定の了解の下に、放送がされている。NHKがまずいのは中立と言うありえない言葉に、影響され、結局は予算編成の上で、あるいは、公共放送としての存在保障の為、政府への配慮を長年してきた体質にある。全ての思想は偏向している。偏向しているから思想であり、人間だ。あらゆる者にとって、中立の思想と言うものはありえない。それを無理やり中立公正と報道が名のると、今回のような事になる。中立と多数派とを間違うのだ。報道の自由を侵害する事だ。NHKはその姿勢を明確にすべきだ。自らの拠って立つ正義を明確にすべきだ。メディアの多様化は、さえぎる事のできない潮流だろう。ひとりNHKが中立を名乗る事は滑稽だ。

本来報道と言うものは、時の権力に対し、批判的役割を持たなくてはならない。健全な社会を作り出すためには、権力におもねる事が極めて危険なのだ。批判する姿勢がある振りをして、実は政権の後押しをする。これが世論をとんでもないところに導く事は、日本の新聞社は等しく経験した、悪魔の手口だ。政権を担う者が、国の根幹である憲法の改定を主張している。その正当性は、税金を使って伝達される。しかし、その問題点の指摘は誰かが行わなくてはならない。それが報道の役割だ。権力と報道とが、対立的な関係が成立している社会こそ健全なのだ。
価値感の多様化した時代に、NHK的というような色合い。つまり当たり障りなく紳士面はしているが、保守的に、権力的に偏向し、擦り寄る報道が公共とはおかしいではないか。

 - Peace Cafe