こっこ牧場の、引越しのお祝い
昨日は、こっこ牧場の引越しのお祝いがあった。3度目の家だ。今度の家で落ち着いて暮せる事を祈っている。こっこ牧場は、生活再建の場所だ。様々な理由で、暮らしが継続できなくなることはある。それを助け合って、新しい道筋を見つけようと言う家だ。大分昔になるが、主催者の杉山さんから、ダチョウの飼い方を聞かれて、かかわりが出来た。ダチョウを山北の奥で飼っている人を知っていたので紹介した。
杉山さんは、いつでも農業分野で出来る仕事を探している。新聞やテレビで、ヤギ乳の話があると、早速ヤギ。ダチョウもそうだった。オリーブが良さそうだと言う話があったので、オリーブ。羊は行けると言うので、一時羊には執心した。野菜をやろうか、麦をやってみようか、あらゆる良さそうな話に目をつける。みんなで断念してもらうのに、大変なのだ。いくらダチョウで成功した人がいるといって、そう簡単には真似ができない。
しかし、杉山さんは真剣で、本気だ。何とか仕事を作り出したいのだ。それで、鶏を飼うのは、協力してきた。当初は私の養鶏場に来てもらって、作業を一通り覚えてもらったりしたのだが、始めてみると、全く違う養鶏を始めた。杉山さんには杉山さん流がある。養鶏は実に総合的に出来ているので。一部だけ私の方法をいれても無理があるので、相談が無い限り、意見は言わない事にした。
先日のこっこ牧場NPO総会の席で、Tさんから養鶏は止めたい。利益が出ているどころか、赤字なのだ。こういう発言があった。Tさんはまじめな方なので、思いつめた様子だった。そこで私が、資料をいただき、経理を調べ、経営判断をすることになった。地代はない。人件費は無い。それで赤字と言う事は無いだろうと言う事から始めた。
結論として、赤字ではなかったが、たいした利益も出ていない。大きな負担は購入の飼料代だった。最高級の飼料を購入して、与えている。それがいいという事だ。しかし、このままでは生活再建どころか、お荷物になってしまう。安い地域の飼料を集めるようにしなければだめだ。と言うのが、私の判断だった。ところが、この養鶏場の入り口が、細い急坂なのだ。ここをよじ登るのが、苦労と言うような場所だ。端から、養鶏場が出来るような場所ではなかった。しかし、好意で貸して頂けたので、杉山さんには、もうその志がありがたい事で、場所選定についての私のありきたりな意見は、聞いてもらえなかった。と言うか耳に入らなかった。
その入り口を穂田さんが、荷物を上げられるように治してくれたのだ。ウインチで上から、ミカンの運搬車を曳きづり上げる方式だ。これで大分状況が変わった。来年は、飼料を変えていく計画だ。私のところと同じ飼料に出来れば、農の会でも販売が可能になる。
もう一つの可能性のある事業は、来年はこっこ牧場田んぼを始めることができる。これも課題だったのだが、私に余裕がなかった。来年は、一緒に取り組むつもりだ。田んぼが出来ると、気持ちが落ち着く。主食を作る事ができると、それは安心が出来る。農作業療法というものが、言われるが。気持ちに影響するのは畑より田んぼだと思う。来年田んぼの作業を覚えてもらえれば、どんどん空いてゆく、耕作放棄地を担って行くことができる。
もう一つの可能性は、お茶がいいと思っている。お茶は保存しておいて、必要な時に販売が出来る。これは、こっこ牧場のような団体には、またとない作目だと思っている。どこかにいいお茶畑は無いものだろうか。