くず米集めと足柄の農家

   

足柄地域では、くず米の事を「さなご」と、美しい名前で呼ぶ。おさなごという言葉があるから、お米の子供ということだろう。青さ、青米と私は呼んでいた。
地域の何軒かの大きな農家から、さなごは分けてもらう。たまると、電話をいただけるので、取りに行くことになる。

大体の農家が、一袋25キロで詰めてある。本来一俵というのが、昔は単位で60キロのことだ。持ち運ぶのに丁度で、具合が良かったのが、1俵だ。今時、力が衰えて大変という事もあり、一袋が30キロになった。年寄り、女性の農業という事もある。それが、25キロが最近多くなった。これは計算しにくいので、良く無い単位だけれど、高く積み上げたりするので、これの方がいいという。

25キロ袋で、150袋は集める必要がある。200袋あってもいい。養鶏場までケイトラで運び、ドラム缶に詰める。きっちり詰めておけば、一年間変化が無い。味は落ちるかもしれないが、鶏のえさには問題が無い。これをこの季節繰り返すので、今もちょっと腕が痛い。

さなごを鶏のえさにすると、卵を産まないということを、どの農家の方も言われる。当然これは皆さんの誤解だ。多分、鶏のエサにさなごを使うということが、大変な浪費で、やってはいけないことだったのだ。私の子供の頃、青米をやるというのは、鶏が具合が悪いような特別な時のことだった。さなごは米粉にして、上新粉として使える。精米して、食べれば結構食べれる、姫米と呼ぶところもあるそうだ。

農家の方と会えば、話すのは今年のお米の出来だ。「1俵良かった。」そんな年は体が疲れていても、皆さん明るい。「今年は1俵悪いぞ。」と言われる。「分結が取れんかった。」こう言われる。やはり、7月の日照不足が響いた。「そっちはどうよ。」という事で、「今年は6俵でした。」と話すと、「どうしただよ。」「坊所は谷間の田んぼなんで、日照の悪い年はダメなんです。」こう言うと、「一生懸命やってれば、今にいい田んぼも貸してくれるよ。」そう慰めてくれた。

「その悪い田んぼを、返しちゃダメだよ。」その方は、悪い田んぼを良くして、誰でも作りやすくなったら、返すのだそうだ。「悪い間はやってないとダメだよ。いい田んぼを借りられたら、折角貸してくださった土地を、足蹴にするように返す人間は、誰も信用せんよ。」この地域で今も専業で農業を続けている人は、すばらしい哲学を持っている。

土がせっかく良くなったら、返せって言うんで、土を運びたいぐらいだ。これが我々の間でよく出る愚痴だ。いい土にして返せたのだから、良かったと思うぐらいで無いといけないようだ。確かに私に、さなごを分けてくださる人は、親切で近所のまでまとめてくれる。さなごはおまけなのだからと言って、福祉施設に寄付している方も居る。俺が農業やっている内は、お前の鶏のエサは心配しないでいいからとまで言ってくれる。

さなご集めは体にきついが、心にしみることも多いい。

 - Peace Cafe