政治的発言の自粛
長崎平和推進協会で「語り部」を務める被爆者らに「政治的発言」の自粛を求める文書を出していた。
そういう空気なんだな。今の社会状況を感じさせる、事件だと思う。
長崎平和推進協会が1月、証言活動をする同協会継承部会の被爆者に行った要請。「より良い『被爆体験講話』を行うために」と題した文書では、「国民の間で意見が分かれている政治的問題についての発言は慎んでほしい」としたうえで、
(1)天皇の戦争責任(2)憲法(9条)改正(3)イラクへの自衛隊派遣(4)有事法制(5)原子力発電(6)歴史教育や靖国神社(7)環境や人権など他領域の問題(8)一般的に不確定な内容(劣化ウラン弾問題など)――の8項目を例示した。
この8項目の選択が、よく出来ていて相当の人が作ったものだと感じる。とくに、(8)一般的に不確定な内容(劣化ウラン弾問題など)――は絶妙ではないか。
あしがら農の会では、政治的発言ということが、ときどき問題になる。3年前、そのとき代表だった。加藤さんが市長選挙に立候補し、落選した。次の選挙を目指して、現在、活動しているところだ。当初は、どんな夢であれ、仲間の夢には、できる限りのことはしたい。という気持ちから、私なりにかかわりを持った。会としても全面支持するの声もあり、主張を聞かせてもらおう、という事になった。
いずれにしろ、市長選の結果は、色々の形で今でも、農の会に影を落としている。あしがら農の会と加藤さんとを、混同してしまう人がいる。特に、狭い地域の、農村社会の中で、活動している組織としては、難しい選択だった。
このとき、立候補前に、加藤さんは農の会を退会した。個人としての支持は歓迎するが、会としての支援は要らない。という発言判断だった。
農の会では政治的発言を行う事は、勿論自由であるが、組織が何をするかは、会の民主的な判断による。と言うのが、当たり前の考えだと思っている。極左から、極右まで、存在しうるというのが、農業組織の常だ。
長崎平和推進協会の8項目の背景を考えると、政治的発言(ここが問題ですが)を強くする人がいて、それを厭だという人がいるということだろう。語り部の方々が、活動を続けてきて、「イラクへの自衛隊派遣」に関心を持たない訳が無い。関心を持たないような人なら、語り部をやらないだろう。劣化ウラン弾を不確定だから発言しない。と言い切っているところに、逆な意図を感じる。
原爆の体験をされた方が、劣化ウラン弾のことが心配になり、不確定云々以前に、一言発言があることが、当然の事だろう。こうした、今起きている事に、全て目をつぶれと言うのでは、過去に体験した事も語れないだろうし、語りたくも無いだろう。
政治的行動を、封殺しようとしている。これが日本人の困ったときの対応なのだ。臭い物にはふたをする。かかわりを避ける。旗色鮮明にすると不利益をこうむる。実はこの8項目の取り扱いに困っているのだ。この8項目に意見を出す事で不利益があると考えている。このじわじわと、真綿で首を絞めるような形での、政治的圧力は、今急速に高まっている。
感じた事は発言する。発言して、議論する。間違っていれば改める。これが自由に出来る社会を、組織を作る必要がある。地域の自治会などでこそ、こうした自由が必要だ。室町時代は、日本人も自分の主張ができたようだ。